山形方人(やまがたまさひと):まずイグノーベル賞について説明したいと思います。私は実際にイグノーベル賞のセレモニーを見学した経験があります。そこで感じたのは、イグノーベル賞というのは、演出された「劇」、エンターテイメントショーのようなものです。つまり、見ている人を楽しませるために、さまざまな工夫をしているということです。したがって、賞の選定も人々を楽しませる、つまりエンターテイメントという観点で選んだものであり、「科学」的な視点から選ばれたものではないということです。科学の賞というのは、一般に論文の被引用回数、推薦、評判、実用性など社会的な影響、内容のメッセージ性などを総合的に判断して決定されるものです。イグノーベル賞は、そのような基準ではなく、演劇のなかで効果的に人々を楽しませるということが重視されていて、選定者の意図で恣意的に選定されているということになります。賞が盛り上がれば、寄付者も増えて運営も可能になります。「日本がイグノーベル賞が強い」ということも、日本がそのようなエンターテイメントの対象になっていて、日本人受賞者を選んでおくということが賞を盛り上げるのに重要だと考えられているからだと思われます。つまり、イグノーベル賞を科学的な成果という視点で評価するべきではないというのが私の結論になります。この結論から、イグノーベル賞は、「日本は自由に研究が出来ている」ということを意味しません。(Read more)
林 茂生:私の知る限りイグノーベル賞で表彰された研究はどれも真面目な学術的研究です。研究者本人も興味に従って自由に研究した成果であり、もしかしたらノーベル賞を夢見ていた研究だったかもしれません。イグノーベル賞委員会は笑いをとるネタになる研究を選んでいるわけではなく、大真面目に行なった研究におかしみを見出すことで科学研究が実用面だけではなく、人類の心を豊かにするものであることを訴えようとしているのだと思います。日本発の研究が毎年選ばれていることは我が国の科学研究の裾野の広がりと、ちょっと変わった研究を許容する科学者コミュニティーと社会の包容力の奥深さを表しています。とても喜ばしく、もっと誇って良いことです。(Read more)
山中 大学 (Manabu D. Yamanaka):私の場合は自分の実力・実績不足のみならず研究テーマ等も本物のノーベル賞はもちろん,イグの方もかなり遠い所にあります(私のみならずそういう分野・テーマは山ほどあると思っています)ので,それを見ることで研究一般論とか日本の研究を語ることはできないと思っています.特にイグの方は,他の方も回答されていたように,研究というよりもウケを重視している側面が大きいと考えており,特に他にも色々レベルの高い顕彰機会があるにも拘わらず(スポーツならオリンピック)学術ならノーベル賞というものに超敏感に反応する日本国民の性質を考えて多く選ばれているということもあるのでしょう. 研究とはそもそも研究者の自由な動機・パッションで行われるものだと私は考えていますので,研究ができているかどうかと顕彰・評価や知名度・実用度などとは本質的に無関係です.プロの研究者として食っていく,研究に必要な予算を獲得していく上で,顕彰・評価や知名度・実用度はもちろん重要なプラス材料にはなり得ますが,ポストや研究費の採否の選考はそれらよりも論文の質や意義が重視されており,この基準が維持されていれば研究者が研究を進めることはできると少なくとも私自身は思います.(Read more)