「娯楽として数学を楽しむこと」と「学問として数学を行うこと」との違いについて私が個人的に思っていることを書きます。

簡単にいえば、人類がこれまでに知らなかったこととの関わりにあると思います。娯楽として数学を楽しむ場合には、その内容がよく知られているものかどうかはあまり関係がありません。でも学問として数学を行う場合には、その内容が知られているものなのか、それともまったく新しい未知のものなのかは大きく違います。

学問として数学を行っている研究者は、人類にとって既知の領域と未知の領域のフロンティアに立っていて、そのフロンティアを少しでも広げようと努力しています。

それに対して、娯楽として数学を楽しんでいる愛好者は、人類にとって既知か未知かということとは独立に、数学の概念や定理やその応用などを学んで楽しんでいることになります。

両者は完全に分かれているわけではなく、一部分は重なっているところもあるでしょう。たとえば、最初は娯楽として数学を楽しんでいたけれど、研究寄り、学問寄りの活動をする人もいるでしょうし、研究者がレクリエーショナルな数学を紹介したり、あるいはそれを学問としての数学に昇華させて論文にする場合もあると思います。

特に最近ではコンピュータとネットワークの発達によって、数学愛好家であっても大きな計算機パワーを用いることができますので、数学の題材を実験的に調査したりすることは珍しくありません。またコンピュータグラフィクスを通じて数学的な概念の可視化を試みる人も多いでしょう。

娯楽と学問の対比というよりも、研究とそれ以外の対比という形になりましたが、違いに関しては以上です。

たとえ学問や研究とはいえなくても数学を娯楽として楽しむ意義はもちろんあります。大いにあります。そもそも数学は楽しいものであり、また美しいものです。謎解きの側面もあり、知的好奇心を刺激し、また「考える」や「学ぶ」ことの純粋な形が見え隠れするものでもあります。

学問としてではなくても、プロの数学者になるわけではなくても「数学」を楽しむ意義があるというのは、「音楽」を考えればよく納得がいくと思います。学問としてではなくても、プロの音楽家になるわけではなくても「音楽」を楽しむ意義はあります。

音楽を楽しんで聴いたり、あるいは下手ながらも自分で歌ったり、楽器を演奏して楽しんだり。それと同じような楽しみは数学にもあります。数学的な文章や証明を楽しんで読んだり、あるいは時間を掛けながらも人の証明を自分でも追ってみたり、自分で最初から証明してみたり、数学的な概念をプログラムにしてみたり。それらはすべて楽しい活動です。

私の回答は以上です。ご質問ありがとうございました。

2021/08/17Posted
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