戸田 剛文:プラトンはソクラテスの口を借りて「最も優れていて最も正しい人間が最も幸福であり、最も劣悪で最も不正な人間が最も不幸である」(『国家』580C)と言っています。
またちょっと出典がわからなかったのですが、エマーソンが、「不正に対する感覚が鈍ること―それは、知性が浅はかな証拠である。」と言っているようです。
こう言った人々の発想の背後には、より正しいもの、知的なものに価値を置こうとする考えがあるのではないかと思います。
あなたがいうような人にイライラしないためには、自分は正しいことをしているということそれ自体に誇りと価値をもたなければ、イライラはおさまらないでしょう。あとどうしても許し難いと思うならば、話をするべきです。不正を見逃すということももしかしたら不正かもしれません。まあ、人間関係もあるでしょうから、なかなか難しい点もあるかもしれませんが。