極めて重要なご質問ありがとうございます。実はこの問題、私がかねがね研究題材として本気で考えているが、なかなか上手い答が見出せず長い間先送りになっている難問です。

まず、人種、宗教、家柄、出身地域などによる差別の場合は、割とわかりやすいです。つまり、いま異民族や異教徒を差別し、自分たちの民族や宗教などに有利な社会を設計しそれを既成事実化することで、子々孫々に至るまで有利だから、です。自分の子孫は多くの場合、自分と同じ民族や宗教ですから、その社会的優位を固定化するインセンティヴもあろうというものです。(それが許される、と言っているわけでは全くありません。許されないことではあれ、それを希う自己中な輩が存在するであろうことは理解に難くない、というだけです。)

不可解なのは性差別です。自分の子々孫々が多くの場合、自分と同じ性別、なんてことはあり得ません。もしそうだったら、それは人間とは全く似ても似つかぬ別種の動物です。むしろ、大多数の人たちが異性愛(ヘテロ)だとすれば、強いてどちらかと言えば自分と同じ性別に対して差別的虐待を働こうとするはずです。同性は潜在的な競争相手だからです。にもかかわらず、例えば伝統的に男性中心の職場や職種で、稀少価値ある女性を男性たちが丁重に扱うとは限らない、というのは実に不可解です。

一つ考えられる要因としては、認知パターンの違いが挙げられます。よく男の子は女の子よりも言葉が遅い、などと言われますが、これは単に「遅い」だけでなく三つ子の魂百まで、大人になってもやはり男性の認知パターンは図形的、女性は言語的、という大雑把な傾向があるそうです。すると異性同士は同性同士よりも意思疎通しにくいため、積極的に差別する意図は無くても能力を過小評価しがち、という可能性はあります。

当然、似たようなことは人種や民族の間でも起こり得ます。米国の研究で、黒人の知能テストの得点が(社会経済的階層のほぼ等しい)白人より低めに出るのは、知能テスト出題者の多くが白人であるために認知パターンの偏った出題がされているため、というのがあるそうです。

ということは、差別を解消するには、アファーマティブ・アクションやクォータ制など要するに「点数に下駄を履かせる」だけでは不十分で、より根本的にこうした「認知バイアス」の存在を社会全体が正しく認識する努力が必要でしょう。

3y

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