古勝隆一 (Ryuichi KOGACHI):『詩』の注釈に関心をお持ちとのこと、仲間が増えたようで嬉しいです。
ご存じのように、「注」とか「疏」とかいうものは、「経」とか「伝」とか呼ばれるものを、解釈しようとしたものです。いま言っているのは、儒教の「経」や「伝」です。これらが社会的に重んじられたにもかかわらず、後世の人間には難しすぎるため、何とか解釈を与えようとした。そのように、拙著『中国注疏講義』では説明してあります。
難しく感じた時、昔のひとはどう解決しようとしたのか?そのひとつが、疑問点を見つける、という方法でした。英語に5W1Hというのがありますよね。「いつ」「どこ」「誰」「何」「なぜ」「どのように」というやつです。このような疑問を見つけ、それに答えを与える、という方法が、中国の注釈学でも広く使われているのです。
その代表例は『春秋』の経に対する、『公羊伝』の解釈です。『公羊伝』は、問答体を使って『春秋』経を解釈しているのです。問い「〜とは何か?」、答え「〜である」、といったものです。
『公羊伝』は見やすい例ですが、この方法が、「注」「疏」にも、広く応用されていると考えています。たとえ平叙文で書かれていても、基本的には、問いと答えのかたちに書き直すことができる、というわけです。そして、その「問い」とは、受け手側が抱くであろう疑問を先読みして、それを注釈者が念頭に置いて答えを与える、というものです。
たとえば、『孝経』に対して唐の玄宗皇帝が注をつけたものがあります(『孝経』玄宗注)。『孝経』の冒頭に「仲尼閒居」とあり、それに対して玄宗注は「仲尼、孔子字(仲尼とは、孔子のあざなである)」といいます。これを次のように読み替えます。問い「仲尼とは何ですか?」、答え「それは、孔子のあざなである」、と。さらに、なぜこの問いがあるのか、仲尼が孔子のあざなだというのは常識ではないか、と考えてみます。この疑問に対し、たとえば、「唐代の大人にとっては常識であっても、『孝経』をこれから学ぼうという子どもたちにとっては未知の知識であったと玄宗が考えたから、この問いを立てたのではないか」、という具合に、「問い」の文脈を想像します。
私は基本的に、この要領で注疏を読んでいます。「筋道がわからなくなる」ということですが、問答とその注釈意図を補って読んでみてください。ひとかたまりの長い文章が理解できなくても、いくつかの小さな「問いと答え」のユニットに細分すれば、理解可能になることもあります。
参考になるかどうかわかりませんが、以前の私の仕事として、『孝経』孔安国伝に対して劉炫が書いた疏『孝経述議』を、問答体のかたちに書き直して訳したものがあります。古勝隆一「劉炫の『孝經』聖治章講義」(『中國思想史研究』30号、2009年)。リンクしておくので、ご一読くだされば幸いです。