「書きたいシーンにたどり着いたらすぐに話が終わってしまう」ことが悩みであるように読み取れましたが、そうなのでしょうか。小説は最も自由度が高い文学形式の一つですから、書きたいシーンにたどり着いたとたんに終わってしまうのも悪くはないのでは?などと思ってしまいました。いささかひねくれた考えかもしれませんが(そうなのかしらん)。
書きたいシーンがあるけれど、そこまで小説を書いてきてようやくたどり着いたわけですよね。冒頭からその「書きたいシーン」までを書いてきたのは、恐らくは、いきなりその書きたいシーンを書くわけにはいかないというお気持ちになったからだと思います。そこまでに、登場人物を読者に「紹介」し、さまざまな行動や心理描写によって物語が展開し、そしてようやくその「書きたいシーン」の意味が読者にきちんと伝わるだろう……とあなたはお考えになったのだと思います。
それはちょうど、高い建物を建築するのにいきなり二階から作るわけにはいかないのにも似ています。土台を作り、一階を作り、その上に二階を作ります。
だとすると、そこから先も同じことではないのでしょうか。つまり、あなたが「書きたいシーン」の意味を十全に読者に理解してもらい味わってもらうためには、何かしらの必要な余韻なり、その後の展開を描く必要があるのではないでしょうか。もしもそれがないのならば、その「書きたいシーン」で終わるしかありませんし、終わるのが適切であるともいえます。無理に小説を引き延ばすことはできないからです。
高い建物の比喩でいうならば、二階建てを作りたいのであれば二階で十分だし、二階を新たな土台だと考えて、三階を作っていくのにも似ています。そのとき二階はさらに上の階を作る上で重要な意味を持つわけです。
ということで、そこから先はあなたご自身がどのような小説を書きたいかに大きく依存すると思います。要するに「あなた次第」であり、そこがまさに「あなたが作った世界をどのようにしていきたいか」ということそのものです。
たとえば、「書きたいシーン」が主人公のかっこいい勝利のシーンだとして、その「勝利」の意味をさらに深めるために新たなる冒険が始まるのかもしれません。あるいはまた、その「勝利」の意味を逆転させるために、腹心の部下が裏切る展開になるかもしれません。もしかしたら、いま倒したのは本当のラスボスではないことが明らかになるかも。
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手前味噌で恐縮ですが、自分のちょっとした経験談を話します。私自身は主に「数学ガール」シリーズという数学読み物を書いていますが、その発端は「ミルカさん」という二ページくらいのささやかな読み物でした。それはまさに私にとって「書きたいシーン」であり、書きたいシーンを書いただけのものでした。
そして後日、その「書きたいシーン」が種となって、登場人物の出会いや、新たなキャラクターの登場や、後日談などをふくらませていきました。もちろん、それは私自身がもっと詳しくキャラクターのことを知りたいと考えたり、ここから先はどうなるんだろうと考えたからです。それぞれは十数ページの短い(でもそれぞれが完結した)読み物となりました。
時は流れて、それらの短い読み物を合わせる形になって『数学ガール』という一冊の本に結実しました。それが十数年前のこと。そのときには発端となる「ミルカさん」というシーンは本の中に組み込まれることとなりました。
さらに時は流れて、物語はさらにふくらみ、現在では二十冊以上の本が並ぶ大きなシリーズになりました。
この経験談で言いたかったのは、「書きたいシーン」を書くということは大事なことであり、さらにその「書きたいシーン」を種にして物語をていねいにふくらませていくと想像を絶するほど大きなものが生み出されるということです。
以上、何かの参考になればうれしいです。
◆「数学ガール」シリーズ
◆『数学ガールの誕生』(「数学ガール」シリーズが生まれた経緯を描いた本)