積惟美:とても興味深い現象ですよね。手元資金(ネットキャッシュ)が時価総額を上回る会社は,リーマンショックと東北大震災後の2012年頃にもっとも多く,日本に約130社ほどあったように思います。それでも純粋にそうした会社を「買収→精算→差額を儲ける」という事例(アクティビストファンドなどが一定数株式を保有して圧力を掛けることを除き)がなぜあまり無いのかと言いますと,下記のような追加的なコストの要因が挙げられます。
(1)買収プレミアムが必要
現実的に言えば,時価総額の金額をそのままで100%の株式を購入することはできません。既存の株主はそのときの株価では株を手放してくれないため,買収する側はそのときの株価+αの値段を提示して株主に株を売ってもらう必要があります。それが買収プレミアムであり,平均するとだいたい20~40%ほどとなります。それを考慮しても差額で儲かるか事例はそれほど多くないと思います。
(2)精算コストや手続きコスト
手元資金が買収プレミアムを上乗せした買収金額を上回る場合でも儲かるかどうかは怪しいです。手元資金以外の資産を売却・処分する際の取引費用や従業員に対する退職金等の補償が追加でかかります。また,上場企業を買収するという大型の取引を行う際の弁護士や証券会社等への手数料も考慮する必要があります。
(3)買収資金の利息等
上場企業ともなると,流石に手元資金のみでその買収資金をまかなうことは難しいと思います。そのため,買収資金を調達するために資金を借り入れしたりする必要があります(世界1の大富豪イーロンマスクもツイッターを買収する際には多額の借入を行いました)。それに伴う利息が費用としてかかります。買収して直ぐ精算すればいいとは思いますが,なんだかんだで諸々の手続きにより精算してお金を返すまでに数年はかかります。
(4)資本コスト
その買収に掛かった金額がその期間別の投資に回せないので,ファイナンス的に言えば機会損失が生じます。その機会損失を資本コストと言い,同じくらいリスクのある別の投資で得られるであろう収益率を上記のコストを差し引いたうえでの儲けが上回っていなければ,買収するに至りません。別の案件に投資していた方がリスク対収益比で儲かるので。
細かく言えば単純に手間がかかるなどの他のコストもあるとは思いますが,上記のような付随するコストが掛かるため,
手元資金 ー(時価総額+買収プレミアム+その他諸々のコスト)>資本コスト
となるような事例はなんだかんだで非常に希です。それでも探せばあるとは思いますが,そうした事例を探索するコスト(その他諸々のコストを推定するコストや買収が失敗するリスク)も考えればほとんど無いように思います。
また,5つ目の理由として,実は日本企業の約50%弱は創業一族が株式を保有する同族企業なのですが,そうした企業であれば株式を売却してくれないかもしれません。
とはいえ,手元資金が時価総額を上回る企業は,株式市場・投資家から「もう付加価値を生めないので,精算してください」と思われている企業ですので,そうした企業を減らしていくことがこれからの日本にとって重要です。