面白い回答ありがとうございます。確かにイギリスを旅行して現地のイギリス人宅で親世代の介護か何かの話をしたときに何か微妙に違うなという感覚になったのを思い出しました。少なくとも2世帯住宅みたいな住み方をしている人はほとんど居なさそうな印象でした(ロンドンの一部地域)。

ところで、アングロサクソン諸国と日本および大陸ヨーロッパの隔絶の背景は何なのでしょうか。中世・近世に原因があるのだと推測しますが。。。
ちなみに、アメリカでは複数世帯住宅(multi generational households)が増えているようです。アジア系・ラテン系人口の増加、若者世代の貧困などもあるのでしょうが、全体的に親を「扶養する」みたいな感覚がアメリカでも普及しているのかもしれません。


Multigenerational households on the rise. Prepare for pros and cons (usatoday.com)

 ドーバー海峡を挟んで老親扶養義務が全く異なっていることを紹介している研究としてはTwigg and Grand (1998)があるのですが,なぜ,そうなったのかについては,抽象的に,歴史的,文化的に違う,と書かれているだけです。私自身は,一つには,土地所有の分布の違いがあるのではないかと考えています。

 明治維新以前の日本における扶養義務の履行は,土地所有権と結びつけられていました。登記台帳である検地帳(けんちちょう)や名寄帳(なよせちょう,現在,法務局で発行してもらえる「名寄せ帳」と同じです)には,当代家長の名前が記されてはいましたが,真の所有者は法人としての家であると考えられていました。したがって,当代家長が扶養義務の履行を怠った場合,扶養家族は親族に親族会議の招集を求め,家長の解任(強制隠居)動議を提起します。親族会議が家長の扶養義務不履行を認めると,家長は隠居させられ,その子がまともであればその子が,そうでなければ適当な者を養子にとって新たな家長に選任します。これは完全に合法的な手続きですので,親族会議の決定を受けて,村長(名主,なぬし)は名寄帳の名義を新しい家長のそれに書き換えます。隠居した親も扶養家族として扶養を受ける権利がありますので,家産を相続した途端に親不孝を働くような者がいた場合には,親族会議で解任されることになります(萬代,2021)。

 明治維新後もこの強制隠居制度は廃戸主(はいこしゅ)制度としてしばらく続いたのですが,民法制定にあたり,廃止されました。「民法出デテ忠孝滅ブ」の言葉で有名な穂積八束が最もこだわった点のひとつが廃戸主制度の存続でした。家長が解任の恐怖から解放されてしまうと忠孝が維持できないと懸念したのです。家父長制が金銭的なインセティブに基づいて機能していたことを鋭く洞察していたとも言えるでしょう。そのように,個人としての土地所有者に成り上がった家長が扶養義務を履行するインセンティブが減りかねないことに配慮して,民法に扶養の義務と権利を法的な義務と権利として書き込むことになったと考えられています(川口,2014,155-156,343-344,417-419)。

 こうした家族観が近世期に一般的に成立した前提として,17世紀に行われた検地によって成立した,一般農民を土地所有者(本百姓,ほんびゃくしょう)とする土地所有制度があります。一般庶民が土地の所有者であるからこそ,土地所有権者の義務として一般庶民に親世代を含む家族を扶養させることが可能となったのです。扶養義務を果たさなかった場合に取り上げられる資産なかりせば,忠孝を果たすインセンティブは機能しなかったでしょう。

 これに対して,近世イングランドの場合,旧封建領主に土地所有権が与えられました。そして,江戸幕府の田畑永代売買禁止令と似たような法律が定められ,相続を除く土地の譲渡を禁じました。売買したい場合には,取引1件ごとに,Parliamentでspecial actを協賛(consent)してもらう必要がありました(Bogart and Richardson, 2010; Bogart, 2011; Bogart and Richardson, 2011)。

 土地所有者となったイングランドの貴族は,日本の本百姓と同じように,親から資産を円滑に相続できるよう,老親に尽くしたのではないかと思います。一方,財産を持たない庶民の老親への配慮については,救貧法(Poor Law)で対応していました。土地所有が貴族層に集中したことによって,資産管理と老親扶養が組み合わされた貴族と,持たざる庶民との間で適用される法律も,その法律を契機として形成される文化も異なってしまったのがイングランドということではないかと考えています。

 アメリカの場合,フランスの植民地であったがゆえに今でも大陸法を運用しているルイジアナ州を始め17州に老親扶養責任法(filial responsibility statute)が残っていますが(Moskowitz, 2001),親世代が執行を求めることは稀か,あるいは,親が親不孝な子を訴えても,執行してもらうことは難しいようです(Garrett, 1979)。

 御指摘のように,アメリカでは,移民集団は,アメリカ法とは別に,出身国によって異なる老親扶養慣行を持っています。しかし,こうした慣行も世代が降るとともに個人主義的に変質していくようです(Chen, 2006; Karuna and Kemp, 2012)。ルイジアナ州が祖法であるフランス法に基づく老親扶養義務を履行させられないのも同じことだと思います。とはいえ,だから法的義務として国家が執行させなければ忠孝は滅ぶのだ,と解釈するのは短絡的に過ぎるでしょう。

 現実世界では,世代間の双方向扶に従うことも,従わないことも,どちらも均衡になりうるのだと思います。皆が世代間双方向養扶養に従うという信念(belief)が皆に共有されていれば,自分の老後の面倒は子や孫が見てくれることを前提として,自分の父母祖父母の面倒を見るでしょうし,将来,自分たちを助けてくれるかもしれない子どもへの支援も厚くなるでしょう。しかし,その信念の共有が揺らぐと,自分の稼ぎは自分の老後に備えて蓄え,子どもは早く自立させる,という均衡に移るでしょう。日本の民法が果たしている役割も,日本国政府が扶養義務の履行を実際に強制することにあるのではなく,民法に法的義務と書きこむことによって,世代間の双方向扶養は我が国の均衡として共有されているのだという信念を支えることにあるのだと思います。しかし,アメリカに移住した場合,一世はともかくとして,二世,三世が異なる民族的背景を持つ人々と婚姻を重ねる中で,世代間双方向扶養の信念は揺らぎ,消えてゆくのだと思います。

 で,元々の質問に戻りますと,日本や大陸ヨーロッパの場合,家長として背負う荷物が物凄く重いので,これを同じ現役世代の家長同士で分かち合う社会保障が政治的立場の左右を越えて支持されるのだと考えています。そして,我が国が直面しているより深刻な問題は,むしろ,せっかく家長同盟としての社会保障を作ったのに,介護保健や医療保険を使える施設を頼らず,19世紀以前の家長たちのように自分だけで老親介護を背負い込もうとする男たちが多すぎることだと思います。特に「勝ち組」の男たちほど,この傾向が強く,「勝ち組」男の妻たちは夫の老親介護への暴走に注意しなければならないそうです。

「勝ち組夫」の介護への暴走、妻はどう止める?

「夫が自分の母親の介護に、まさにこの『親不孝介護』に書いてあった“親孝行の呪い”に掛かって暴走しそうな気がします。どうやって止めたらいいんですか」という質問がありまして。

https://business.nikkei.com

この点は松浦晋也さんの「介護生活敗戦記」が参考になります(松浦,2017-2022)。介護保険料や医療保険料や年金保険料を払うことによって忠孝は果たしたことを認識し,積極的にプロを頼る方が介護される方も幸せであることを自覚しなければならない,ということなのでしょう。

参考文献

中林真幸(2022)「家父長制と福祉国家―社会保障の法的経路依存―」,岡崎哲二編,『経済史・経営史研究入門』有斐閣,3-35頁.

萬代悠(2021)「畿内豪農の『家』経営と政治的役割」『歴史学研究』1007,72-84。

松浦晋也(2017-2022)「介護生活敗戦記」『日経ビジネス』。

https://business.nikkei.com/atcl/report/16/030300121/

介護生活敗戦記

同居する母の様子がおかしいとはっきり気がついたのは、2014年7月のことだった。「預金通帳が見つからない」と言いだしたのである…。誰だって、自分が確立した生活を崩したくないもの。認めなければ、現実にならない。そんな意識から見逃した母の老いの兆候が、やがてとんでもない事態に繋がっていく。初動の遅れ、事態認識の甘さ、知識、リソースの不足…ノンフィクション作家の松浦晋也氏が自ら体験した「介護敗戦」を赤裸々かつペーソスと共に描く、「明日は我が身」にならないための、笑えない連載です。

https://business.nikkei.com

Bogart, Dan (2011) "Did the Glorious Revolution contribute to the transport revolution? Evidence from investment in roads and rivers," The Economic History Review 64(4), 1073-1112. https://doi.org/10.1111/j.1468-0289.2010.00580.x

Bogart, Dan and Gary Richardson (2010) "Estate acts, 1600 to 1830: A new source for British History," Research in Economic History, 27, 1-50. http://www.jstor.org/stable/10.1086/652901

Bogart, Dan and Gary Richardson (2011) "Property rights and parliament in industrializing Britain," The Journal of Law & Economics, 54, 241-274.

http://www.jstor.org/stable/10.1086/652901

Chen, Carolyn (2006) "From filial piety to religious piety: Evangelical Christianity reconstructing Taiwanese immigrant families in the United States," International Migration Review, 40(3), 573-602. https://doi.org/10.1111/j.1747-7379.2006.00032.x

Garrett, W. Walton (1979) "Filial responsibility laws," Journal of Family Law, 18(4), 793-818.

https://heinonline.org/HOL/P?h=hein.journals/branlaj18&i=803

Moskowitz, Seymour (2001) "Filial responsibility statutes: Legal and policy considerations," Journal of Law and Policy, 9(3), 709-735. https://brooklynworks.brooklaw.edu/jlp/vol9/iss3/1

Nakabayashi, Masaki (2019) "From family security to the welfare state: Path dependency of social security on the difference in legal origins," Economic Modelling, 82, p280-293, November 2019. Open access: https://doi.org/10.1016/j.econmod.2019.01.011

Sharma, Karuna and Candace L. Kemp (2012) ""One should follow the wind": Individualized filial piety and support exchanges in Indian immigrant families in the United States," Journal of Aging Studies, 26(2), 129-139. https://doi.org/10.1016/j.jaging.2011.10.003

Twigg, Julia and and Alain Grand (1998)"Contrasting legal conceptions of family

obligation and financial reciprocity in the support of older people: France and

England," Ageing and Society, 18, 131-146. https://doi.org/10.1017/S0144686X98006886

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