福島真人:この議論は権力の交代について、マルクス主義的な考え方によってそれを支配階級(あるいは有産階級と)プロレタリアートといった図式で考えているように見えますが、現実の政治的な動きは必ずしもこうした図式的マルクス主義では説明できないケースも多々あります。
こういう話は実はマルクス主義階級理論の初期からあり、基本的に階級は自動的に有機的な運動の母体にならない。それゆえ労働者階級は自覚的なイデオロギーによってまとまる必要がある、という話になり、特に後期マルクス主義者たちは階級意識というのがテーマ化したわけです。言い換えれば、経済的関係が自動的に政治的な行動を生むわけではないということ。そこでどうやって反政府的なイデオロギーをまとめて、動員可能な集団を作るべきかというのがその後のテーマになったわけです。
実例をあげると、例えば独立後のインドネシアにおいて、特にスカルノ大統領の末期に国内で大きな騒乱が起きましたが、その時に当時のインドネシア共産党が考えたのは一種の階級闘争、つまり地主階級対小作人という間で対立を考え、そのように農民を動員しようとしましたが、現実に起こったのは、地主と小作人の間の対立というよりむしろイスラーム系住民と非イスラーム系の間のイデオロギー的な対立でした。つまりイスラーム系の小作人達はイスラーム系の地主と連動して、彼らがイスラームの敵と考える集団に対して攻撃を加えたわけです。つまり階級闘争ではなく、宗教的なイデオロギー対立によって紛争が起きたわけです。当時のインドネシアではこうした思想宗教的潮流をaliranと呼びましたが、こうした諸潮流の力学が権力維持及びその崩壊と関係があるのはこの例に限りません。