橋本 省二:とても奥深くてよい質問なんですけど、その前に一つ。「先生」と呼ぶのは勘弁してください。面映くて背中がかゆくなります。私たち(素粒子の研究者)の仲間内では「先生」という呼び方は滅多に聞きません。でもそう言えば、他分野の方とお話しするときはちょっと構えて「先生」と呼びますね。あ、だからいいのか...。 電子やクォークのスピン 1/2 というのは確かにその粒子の内在的な性質です。空間を回転したときに粒子がどう見えるかを区別するのがスピンで、量子論で許される最小の(ただしゼロでない)スピンが 1/2 なので、これはもう固有の性質だと考えるのが自然でしょう。一方で、質量というのはそうではないんです。量子論で許される最小の値、などというものは存在しませんし、素粒子の質量なんて何桁も違うものがありますから。 そもそも、クォークは本来質量ゼロだと考えるべきものです。なぜなら右巻きのクォークと左巻きのクォークは本来別の粒子だからです。左巻きは弱い力を感じるのに対して、右巻きは感じない。もともと別の名前で呼ぶべきだったんです。質量とは右巻きと左巻きを混ぜる性質のことなので、クォークの質量はその混ぜ加減をあらわしているだけで、スピンがもっていたような数学的な意味はありません。だから、ある意味では(摩擦係数のように)現象を表現するための便利な数値、と言ってもよいものです。 それじゃあ一体あれかい? クォークの質量は時と場合によって変わるとでも言うのか? と言いたくなりませんか。実際その通りで、十分に高温の環境ではクォークは質量ゼロにもどるはずです。ただし、この温度は千兆度。途方もない温度です。逆に言うと、それよりも十分低い温度ではそんな堅いことを言わないで与えられた質量があると思った方が便利ですし、そのことで生ずる誤差は無視できるものです。したがって、お答えとしては、クォーク質量をあたかも所与の量であるかのように扱う。ということになります。 こういうふうに、ある状況下(いまの場合は千兆度より十分低温)でのみ正しいような理論のことを「有効理論」と呼ぶことがあります。クォークが有限の質量をもつ理論は有効理論です。一段高いところには素粒子の標準模型というのがありますが、それすら一つの有効理論だととらえるのが一般的な考え方です。(Read more)