私は、あなたのご質問を、次のように脳内で変換して読みました。「誰かの発言を聞くときに、聞き手は実際の発言で欠けている部分を補い、発言者の意図を想像して解釈しようとします。それでコミュニケーションがスムーズにいく場合もありますが、逆に拡大解釈してしまったために話が成り立たなくなる恐れもあります。拡大解釈しないようにするために必要な教育にはどういうものが考えられますか」。これはあなたの質問を拡大解釈しすぎていないことを期待して、話を進めます。

言葉、特に話し言葉はかなり不完全なものですから、会話をするときに言葉不足を補ったり、あるいは意図を想像して補完したりすることはどうしても必要になります。そこにコミュニケーションの難しさも面白さもあると思います。

もちろん、あなたがご心配になるような「拡大解釈で会話が成り立たなくなる」ケースもあるとは思います。しかし、私が思うに、相手と会話をしているんですから「それは、こういう意味でしょうか?」や「それはこんなふうに解釈しちゃダメでしょうか」のように相手に意図を確認すれば、トラブルは事前にかなり解決するのではないでしょうか。

片方がずっと語り続け、他方がずっと頭の中で拡大解釈し続けている状況というのはあまり「会話」しているようには見えません。

疑問が生じたときに「いまおっしゃったことは、たとえばこういうことだと考えていいですか?」と尋ね返し、相手から、「ああ、そうです。そうです」や「それはちょっと違いますね。私が言いたかったのは……」のような反応をもらいながら会話を進めるのはたいへん重要で、健全な態度であると思います。もしも、このような「ちょっとした確認」をしながら会話を進めることができないとしたら、遅かれ早かれ誤解は大きくなっていくと思います。

話し手も、聞き手も、不完全な人間なのですから、確かめ合うことが大事なのではないでしょうか。

あなたはなぜか「拡大解釈しないようにするための教育」という大げさな話に移っていきます。これは私には不可解です。あまり、国語の授業で対処する話でもないように思うからです。家庭内の会話で対処するかどうかもよくわかりません。確かに、家庭内の会話が結果的に「質問」や「答え」の練習になる場合はあるでしょうけれど。

ある人が、どんな意図を持って、どんな考えを抱いているかを過不足なく知るというのはそもそも難しいことです。ですから、会話を通して意味を確かめたり、意図を確認したりすることは大切です。最初から「このようにすれば拡大解釈はなくなるハウツー」を求めるのではなく、「話がずれているように感じたときに、相手に気軽に確かめるハウツー」を求めた方がいいと私は思います。その方がずっと楽しいし、「つぶし」も効くからです。

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