まず「民主主義」という言葉は、democracyの訳語であり、元々はエリートではないdemos(民衆)によるcracy(政治体制)なので、「民衆による支配を正統とする政治体制」が原義になります。

そのため、貴族や騎士・武士などの特定のエリート階級ではない、「民衆」が政治に参加し、それで何らかの決定をしていかないといけないのですが、その具体的な方法は色々と存在しています。

例えば、政治参加の権利を持つ人々が基本は全員で集まり、話し合って議論する方法です(代理ではなく、「全員が直接集まって参加する」ことから「直接民主制」と言われます)。そのような全員参加の場合、「全員一致」するまで話し合う、という形をとることもあります。実際、日本の室町時代の村での「寄り合い」では、三日三晩話し合い、できるだけ「合意」を作っていくという形だったと言われます。あるいは、アメリカの司法における陪審制度なども、有罪か無罪かの判定は「全員一致」を原則としております。

以上のように、特に「代理」として話し合うのではない場合などは、「多数決」ではなく、全員の納得を基本とする「合意」による決定方法が用いられます。

ただ現代のほとんどの民主制の国家では(スイスなどの例外を除くと)、政治参加の権利をもつ民衆「全員」が集まることは実質的に難しいことなどから、「代理」としての「代議士」などを選挙で選んだ上で政治的決定をする「間接民主制」という形をとっています。

そのため、原則論としては「代理」に過ぎない代議士(議員)が勝手に意見を変えることが難しく、それぞれの支持者の間にある利害対立を反映すれば、全員一致に至る議論ばかりにはなりません(とはいえ、実は多くの国の国会審議などでは、「全党一致賛成による法案可決」も少なくありません。「野党は批判ばかり」というのは、そういう意味でもウソです)。

そのため、全員一致以外の決定方法を使う必要が出てきます。そこで多く用いられるのが「多数決」です。ただし、「民主主義=多数決」などと考え、「少数意見の尊重」などの理念を無視した強行採決などが多用されてしまえば、そもそも議会などにおける議論自体が不要となります。また、無視される少数者たちも政治参加の権利をもつdemosであるはずが、少数者であることから実質的決定から排除されることとなってしまえば、「多数者の専制」と言われるように、本来の民主制の理念とは異なった政治状況に陥ります。

2022/01/22Posted
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