小川仁志:一般的にいえるのは、哲学が単なる計算ではないということだと思います。私はかねてから『AIに勝てるのは人間だけだ』(祥伝社新書)などで、AIに哲学はできないと主張しています。その主な理由は、哲学には計算以上の要素が求められるからです。そもそも人間という存在が物事の本質を求める際、人間の持つ全能力や全性質を使って行うことになります。本能や欲望などの無意識的なものも含めて。その中に、信じる、あるいは身を任すという態度も入ってくると思うのです。哲学的思考をするというのは、意識的に論理的操作を行うことだけではなく、その周辺や内部においてそうしたいわば非思考的要素が複雑に作用してくる現象にほかなりません。現に、歴史上の多くの哲学者たちが何らかの宗教的要素を思考の中に取り入れてきました。ソクラテスはダイモーンの声を聴いていたといいますし、デカルトも神によって生得観念が与えられたと考えていたわけです。中世の哲学者たちはキリスト教と哲学を両立させようとしましたし、近代の多くの哲学者たちもキリスト教徒でした。無神論者であるはずのサルトルでさえ、最期は神に泣きついたといわれています。近代の日本の哲学者たちが西洋哲学と仏教を融合させようとしたのもその例でしょう。そういわれてみれば、私もなんらかの神的なものを信じているのかもしれません。思考の後、ぐっすり眠れてますから。