いまの日本の高校程度の数学もおぼつかない私のような者がお返事するのは相応しくないのですが、とても面白い問いだと感じたので、中国学術史に関心を持つ一人として書かせてもらいます。また、和算についてはまったく分からないので、触れられないことをお許しください。

中国には、前漢末の劉歆、三国魏の劉徽、唐の僧一行、また南宋の秦九韶など、傑出した数学の能力を示した人物が世に現れたことが知られています。

しかし、中国学術の主流は、唐代までは儒教・仏教など、宋代以降は儒教・史学・文学となっており、数学や科学の能力をそれなりに評価する社会的な制度や仕組みがありませんでした。このような環境にあって、数学の分野で能力を発揮した学者たちがのびのびと自由に研究し、十分な敬意を社会から受けたとは思えません。

科挙という制度を通して人材の選抜が行われ、「士大夫」と呼ばれる階層が文化の中心を担うようになった宋代以降は、なおさらでしょう。

儒教という、青銅器時代に作られた価値の体系を崩さずに継承しようとしたのが、前近代中国の諸王朝ですから、士大夫にも皇帝にもそれががっちりと組み込まれており、数学も科学も、儒教との関わりでとらえられがちであったので、学問分野としての発展が十全でなかったのでは考えています。

儒教は暦法の掌握を王者の特権とみなすので、天文に関わる数学が発達したのは、中国数学の推進力になった面があると思いますが、やや限定的なようです。

儒教にも良いところはあったのですが(権力者が謙虚な姿勢をとるようにうながすきっかけとなる等)、そこに学術的な人材、リソースが集中しすぎています。

以上のように、宋代以降は儒教尊重があまりに強く、国家や社会が数学者を正当に評価することができなかったせいで、中国数学はのびのびと発展できなかったのではないかと考えます。

前近代中国の数学の優位を説くとき、「西洋よりも先に何々を解いた、見つけた」、というような、他文化との比較がしばしばなされますが、それはかえって、中国文化自体から数学という学問の意義を語りえていないことを表明しているようにも思えます。

2021/12/10Posted
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