スマホがあるからでしょう。その前の時代には写ルンですとかいう簡易カメラ(今もあるらしい)やポラロイドカメラもありました。もっとさかのぼればそんなに高いものじゃない(安くもなかったけど)カメラもあった。でもそれはみんなが持っていたわけじゃなかった。意義とかというよりはそれらがあったから、あるから写真は撮られたし今も撮られる。文章もそうで手書きしかなかった時代に人はこれほど文章を書いたりはしなかった。手段が簡単になれば人間は書くし描くし撮るし鳴らす。そしてなぜか誰かに見せたくなるし聞かせたくなる。もちろんそこにも意義はない。でも人間は同時代の同じ村の人間が嫌いだから「うぜえな」となるのでしょうが五千年後の人々には大変興味深いはずです。見たくないですか。五千年前の、それもそこらの名もなき(わたしたちのような)人間の書いたり描いたり撮ったり鳴らしたりしたもの。しかし確かにうざい。猛烈な時代の速度にわたしたちは「わたし」がついて行けずうろたえている。自分以外が高速で変化していくように見える。もう誰ともわかり合えないんじゃないかと別の星に来たように錯覚する。しかしその別の星すらない。だけどたぶんですが大なり小なりそれぞれがそうで、そう考えればわたしたちはばかで不憫です。いずれ迂闊に公開したそれらが大金持ちの商売の道具になるとも知らずに、知っていたとしてもそうする。そうしちゃう。かわいくないですか。腹立つけど。

2022/01/12Posted
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