東京藝術大学お嬢様部:①ものによりますが映像か写真に記録を残して終わりです。オブジェのようなものを組み合わせたインスタレーションならそれらを保管できますが、大規模すぎるものは保存はできませんし、写真や映像を撮ってアーカイブ化します。 ②美術館がインスタレーションを購入している場合は、権利書と設計図を持っており、館が再展示をする場合はその設計図を基に作ります。作家が存命なら本人を呼ぶことがありますが、亡くなっている作家の場合はその設計図(とアーカイブ)が根本になります。 ③ナム・ジュン・パイクなどの映像を使う作家の場合、ブラウン管テレビや昔のネオン灯などが設計図にありますが、これらが今後の課題になってきます。昔のテクノロジーが作品のオリジナルの場合、調達が年々困難になっているのです。そのため現代美術館の倉庫にはそれ用の古い器具類が備蓄されていたりします。 しかし、生産停止のものばかりになるといつかは尽きるわけです。ブラウン管テレビではなく薄型液晶パネルテレビのナム・ジュン・パイク作品を、果たして彼の作品と呼べるのかというテセウスの船のようなことが起こり得ます。まだこの辺りは時間的猶予がまた効くこともあってか、最近ようやく話題になってきました。https://bijutsutecho.com/magazine/insight/24792 キャナルシティ博多のナムジュン・パイク作品はいかに修繕されたのか。メディア・アートの「魂」を未来へ運ぶために 福岡市のキャナルシティ博多にある、ナムジュン・パイクのビデオ・アート作品《Fuku/Luck,Fuku=Luck,Matrix》。近年、機器の劣化によって上映を停止していたが、今年10月に修繕された。 https://bijutsutecho.com そうなると再展示はオリジナルのとは違うことになるわけですから、やはり権利的にも設計図こそが重要ということになります。上の記事にもあるように「物理的なオリジナリティと作品のオリジナリティを分ける」という発想になると、後者を担保する設計図は設計図以上の重みがあるものになります。 とはいえ建築も設計図自体を建築とは呼ばないように、インスタレーションはそのインスタレーションが作品と呼ばれることは、今後も変わらないでしょう。(Read more)