質問者様の「コミュニケーションとは本来、自分と相手あってのもの」というお考えに全面的に賛同します。

 その見地に立てば、真に“コミュニケーションに強い人”というのは、いわゆる「コミュ強」として一般学生が誤解する《サークルやゼミでリーダーシップを握る能力》のある人ではなしに、《赤の他人を説得する力か、目上の人が気持ちよく仕事を進められるよう配慮する力》を備えている人を指すことになります(【参照】 https://www.onecareer.jp/articles/396 )。その意味で、「匿名」氏の解釈にも賛同します。

 ──私の専門は国語教育学(ことばやコミュニケーションの学びを対象とする学問)ですから、その専門知からすれば、以上のことは、以下のようにも説明できます。すなわち……

 心理学者ヴィゴツキーを再解釈したフィンランドの成人教育学者エンゲストロームに言わせれば、人間の「発達」とは、時間的・歴史的な垂直的次元と、空間的・社会的な水平的次元の2方向から捉えられます。そして、「発達は,個人的な転換にとどまるのではなく,集団的な転換と見なされるべきである」のであって、また「発達は,レベルを垂直的に超えていくことにとどまるのではなく,境界を水平的に横切っていくことでもあると見なされるべきである」のです(エンゲストローム,1999)。

 これを噛み砕いて言うと、エンゲストロームは人間という生き物の特徴を、困難な事態が来るたびに個人でなく集団でその困難な事態を乗り越え克服し進歩・進化していく点に見出しているのです。そしてエンゲストロームは、人間のもつ、互いの人種や文化や宗教や価値観の違いを乗り越えてコミュニケーションを重ねる力(「越境」=境界を水平的に横切っていくこと)こそが、「いまここにないもの」を生み出す人間の原動力だと訴えているのです。

 そのようなコミュニケーション観から見れば、“上から目線”で「コミュ力が足りてないね〜」「トーク力をもっと磨きなよ〜」と言ってくる人こそ、「コミュ強」どころか、むしろ違いを乗り越えコミュニケーションを重ねて新しいものを協働で生み出す力の弱い人だ、とすら言えるわけです。その意味で、質問者様の「周りの自称コミュ強はどこか一方的なコミュニケーションで自分に迫って来る気がします」という直感はズバリ当たっていると思われます。

【文献】エンゲストローム(1999)山住勝広・松下佳代・百合草禎二・保坂裕子・庄井良信・手取義宏訳『拡張による学習─活動理論からのアプローチ』新曜社

2023/01/17Posted
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