松下達彦:まず、「例外」「エラー」「失敗」の3語は類義語ではあっても同義語ではないと思います。それぞれの例文をみて相互に入れかえ可能かどうか調べてみてください。例えば「(野球で)内野手のエラー」を「*内野手の例外」とは言えません。同様に様々な文脈を調べれば、それぞれに交換不可能な例がたくさん出てきます。 次に「経験や雰囲気」で判断ができるのは、数多くの用例に触れて、脳が記憶し、判断しているからです。 専門用語、業界用語、ジャーゴンについては、その業界での特定の意味を示すのに、意味の広い曖昧な語を避けるためであると考えられます。例えば「内野手のエラー」を「内野手の失敗」と言えば、(エラーは失敗にちがいありませんから)間違いとは言えないかもしれませんが、エラー以外の失敗を示すかもしれません。例えば、フィルダースチョイス(野手選択、野選)も「失敗」ですが、「エラー(失策)」ではありません。 とここまで書いて気づきましたが「エラー」と「失策」は野球という文脈がはっきりしていれば、意味は同じですね。「機械」と「マシン」、「机」と「デスク」など、よく似た例はたくさんあります。なぜこうなるかにはいくつか理由がありますが、専門用語として意味を明確にするためであったり、商品の場合は新しいイメージを打ち出すためであったりします。また、例えば「旅館」と「ホテル」などは、似ているようで異なっています。旅館と言えば和風で、ホテルと言えば洋風の宿泊施設をイメージすることが多いでしょう。 専門分野の場合、アイデンティティが関係している場合もありえます。つまり、その用語を使えることが、その業界の人間である仲間意識を高めるといったことです。このような意識のことを社会言語学では solidarity といいます。若者言葉やネット上のスラングなどはそのような動機で使われることが多いでしょう。 寿司職人が「がり」「しゃり」「ねた」などと言ったり、刑事が犯人のことを「ほし」と言ったりするのは、仲間以外の人に意味を知られないように伝達するという意味もあったのかもしれません。ネット上の一部のジャーゴンにもそういった機能があると思います。(Read more)
kmizu:鋭い……というか、用語をきっちり区別して異なる定義を与えようとする試みを企ててがちな側としては色々考えさせられる質問だと思います。 おっしゃる通り、人間というものは究極のところ、辞書的な定義などよりは実際の交流を通して得た語の「雰囲気」を優先してしまうものだと思います。 しかし、やはり専門用語に狭い意味を与えることは大きな意味があります。たとえば、数学における「微分」や「積分」という用語の意味が雰囲気で決まっては学問を前に進めるための議論すら覚束ないのです(他の多くの「理系」「工学系」分野でも同じような事情はあると思います)。 私の専門分野に誓い構文解析やプログラミング言語についても「定義が曖昧な用語」の存在は程度の差はあれ認められているものの、狭義の意味を知った上でというのが前提であって、狭義の意味を理解せず雰囲気だけで用語を運用したままでは研究者(あるいは、それに準ずる人間)同士でのまともな議論すらできなくなってしまいます。 結論としては、専門家同士の議論においては、専門用語を定義する試みはむしろ必須といって良いものです。かつ、少なくとも専門家同士であればそのような試みはある程度は機能しています。 問題は、そのような「狭い意味での定義をしようとする試み」が通用するのはあくまで狭いコミュニティの中であって、「普通の人」に用語が普及すればたちまち専門用語の意味は崩壊していくところでしょうか。問題というか、世間に用語が普及するというのはそういうことなのかもしれませんが。(Read more)