山内志朗:私の場合、哲学の一次資料として読むのは、13世紀から14世紀にかけての資料です。ラテン語で書かれています。また、ラテン語の資料も、時代と場所によって、用語の背景が異なるので、そのテキストを書いた哲学者・神学者がどのようなセクトに属し、どのような教育を受けたのかを知る必要があります。たとえば、1270年代のパリ大学と、1270年代のオックスフォード大学でのラテン語の背景の違い(どの語にもあるわけではありませんが)にセンサーが働かないと、苦労することが出てきます。その辺は、直接ラテン語のテキストに触れて、しかも膨大な量のテキストに触れて、動物的な勘を働かせられるようになるのが必要かもしれません。日本でも外国でもそれを学べる場所は限られています。それ外の言語としては、中世では、英独仏は必須で、イタリア語もギリシア語も必要で、アラビア語の知識も必要です。ヘブライ語の基礎知識もあった方がよいので、それらを学んでいると人生設計も十分考えて必要があります。その点で、現代の分析哲学は英語だけで済むのでコスパはよいのですが、競争相手がたくさんいすぎるので、研究者の道は閉ざされることになります。その点で、中世ラテン語の世界は競争相手が少ないので、早い者勝ちの世界です。もちろん、かなり(とても)強い動機づけがないと途中で心が挫けますけれどね。