「相手が何を考えているかわからない」ということですが、それは誰でもそうだと思います。他人のことですから、何を考えているかは基本的にわかりません。
私自身は読み物を書いていますが、別に「憑依」をして書いているわけではありません。私の書き方は「知人との対話を思い出して、その様子をブログに書く」のに近いと思っています。私の中には登場人物たちが生きていて、対話を繰り広げます。そのようすをよく観察して、文章として記録するのです。
考えていることや、思っていることは発言や態度に表れるものですから、その発言や態度を文章に変換するのが執筆になりますね。
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あなたは相手の考えていることを「推論」すると表現していますが、どちらかといえば、少なくとも私には「推論」よりも「推測」の方が近いんじゃないかと思います。推論というほどロジカルなものではないということです。もしかしたら「想像」の方が適切かも。
まあ、細かい表現の話はさておき、相手が何を考えているかを想像するときに大事なのは、相手の行動や振る舞いをよく見ることや、相手の言った言葉をよく聞くことじゃないかと思います。特に、相手の言う言葉をよく聞くのは意外に難しいものです。意識しないとなかなかできません。たとえば、相手は何と言ってたか、その言葉(使っていた表現、言い回し)をそっくり思い出すのは難しいものです。
相手の言葉を聞くとともに、そこに付随する感情を想像するのは、人によっては難しいかもしれません。基本的には、喜怒哀楽のどれを抱きながら相手は話しているのか、それとも単なる事務連絡として話しているのかを想像するという意味です。細やかな想像ができないにしても、相手が悲しいと思って話しているのに、喜んでいるんだなと勘違いするような「大きなずれ」があると、トラブルを生みやすいですね。
相手の考えていることと、自分の想像したことに頻繁に「大きなずれ」が見つかるようならば、それを補正することになりますけれど、そのためにも相手の言葉をよく聞き、振る舞いをよく見る必要がありますね。
さらに「ふだんの相手」を記憶していることも大事かもしれません。この人はふだんは優しい言い方をするけれど、今日は乱暴な言い方をしている。ということはいつもよりも機嫌が悪いのかもしれないと思うことになります(それを相手に伝える必要はありません)。それもまた「大きなずれ」を防ぐ効果があるでしょう。
ということで、私のお勧めとしては、相手をよく見ること、言葉をよく聞くこと、ふだんの相手の様子を記憶しておくことですね。