確かに僕は「カップ焼きそばが好きではない」と書きました。しかしそれは「苦手」「嫌い」というのとは少し違うのです。特にマイナスがあるわけではないがプラスもあまり無い、と言えば伝わりますでしょうか? そういう意味では、少なくとも僕は「万人から嫌われない」という仮説の例外にはあたりません。 

 

僕にとって好きなものは、食べてる間中「うまいなー、うまいなー」と何度も嬉しくなって、残り少なくなってくると「おいしいものはなんで食べるとなくなってしまうん?」と少し切なくなり、食べ終わって「実に良いものを食べた」「良い選択であった」と満足して終わる、そういうものです。それの最上級になると、寝る前にもう一度、「そう言えば今日はおいしいものを食べたなあ、また食べたいなあ」と、しみじみと回想することになります。

ペヤングは、(年単位ですが)たまに食べたい衝動に駆られて食べます。しかし2口くらい食べた時点で「うむ、もう充分である」と思ってしまうんですね。これはもう無かったことにして他のものが食べたいな、と。しかしそれは人としていかがなものかと思いますから、ちゃんと完食します。ようやく食べ終えると、少しだけ悲しくなります。

「せっかくさっきまでお腹空いていて、好きなものをよりおいしく食べるチャンスだったのに、なぜこんなことになってしまったのだ……」

という釈然としない思いに囚われ、次に衝動が起こってもその時はもっと冷静になろう、と決意するんですね。にも関わらず、2年後にまた食べてしまい、同じことを繰り返します。

繰り返してしまうということは、おいしいんだと思います。しかしどんなにおいしくても、「今日の晩ご飯はうまい棒食べ放題だから好きなだけ食べて!」ということになっても、イマイチ嬉しくはないではないですか。ペヤングもだいたいそれと同じです。

 

ただしペヤングも、組み合わせ次第、みたいなところはあると思います。前回食べたのは、コロナの自粛期間真っ只中でした。遅くに仕事が終わると飲食店は全部閉まってましたから、その時僕は、成城石井で野菜系のデリと富岡商会のももハムと3種チーズのアソートとワインを買い、その後コンビニに寄ってペヤングと淡麗グリーンラベルを買いました。そしてビジホの部屋で、デリ→ハム→ぺ→チーズ というフルコースを楽しみました。

これは完璧でした。全てが収まるべきところにピタリと収まる、緩急のある流れとな鮮やかな着地。

しかし、そういう特殊な状況でもない限り、ペヤングのためにわざわざそういうことをするかと言われるとちょっと微妙です。ペヤングはとっとと諦めて、開いてる店に出かけると思います。ペヤングの衝動と言っても所詮はその程度なのでしょう。

 

ペヤングがカップ焼きそばの最高峰、というのには完全に同意します。冷静に判断すると、UFOの方が客観的にはおいしいような気もします。しかしそもそも、最高峰かどうかはおいしさだけでは決まりません。少なくとも僕は、どうせカップ焼きそばを好きになるならば、UFOが好きな俺よりもペヤングが好きな俺になりたいんだと思います。

 

8mo

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