佐藤愛:こんにちは。コメントをありがとうございます。魂のお話ですので前回の回答との関連ですね。
「LGBTQの存在こそ魂の存在を証明している」とのお考えなのですね。ご質問ではなくご意見かなと思いましたので、私も質問者さんのコメントを読んで思いついたことを書こうと思います。
前回もお話ししたように、前世についての研究は確かに存在しますが、それは実際の証明にはまだ遠そうです。でもここで新たな疑問が浮かびます。なぜ証明が難しそうな研究をアメリカでは行うことが可能だったのでしょうか?
もしかしたら、証明することよりも、魂について議論することそのものに有用性があったのかもしれません。
現に、質問者さんはご自分で「同性の雄ネコを愛してやまない男」であるとおっしゃっていますが、ご自分とは異なる仕方で誰かを愛したりアイデンティティを形成する人々(LGBTQの方々)について、「魂」を理由に受容してらっしゃるように見えます。
もしかしたら質問者さんは「魂」を理由にしなくても、ご自分と異なる考えの人々と共生できる方なのかもしれませんが、「魂」について考えることがそれを後押ししているように私には思えました。
だから、アメリカで行われた前世や魂についての研究は、もしかしたら「魂」の存在証明の学問的意義よりも、「魂」について話し合うことそのものに意義があったのではないかと思いました。自分とは異なる他者との共生にとって有用だから研究として成立するのではないか、と。そしてこうしたアイディアは、アメリカのプラグマティズム(実用主義)という哲学に由来するのかもしれません。
実用をあまりに短絡的に目指すと視野が狭くなりますが、今回のようにこの考え方に助けられるときがあります。
日本でも「魂」の存在証明ができなくとも「魂」について考える時間が必要であり、その時間が他者との共生の役に立つかもしれない、と質問者さんの言葉を読みながら思いました。またコメントをお待ちしております。