福島真人:現在西洋中心の歴史記述を超えた試みは各分野で行われてますが、アフリカに限らず第三世界一般において、この問題の解答が 結構難しいのは、ここでいう「
科学」をどのように定義するか、それによって話がだいぶ変わるからです。科学を18世紀以降の西洋で勃興して、組織的な観察、実験、理論化によって行う知の体系で、論文等の形でその知識が蓄積されるそれと狭く定義すると、世界史上の多くの知識体系はこれに該当しません。西洋でも錬金術や占星術は独特の知識体系ですが、どちらかというとプレ科学と扱われるのが普通です。実際「アフリカ科学」というタイトルの議論の大半は、こうした西洋起源の科学が現在のアフリカでどうなっているかという話が主です。また、科学とより広い意味での技術の体系の関係をどうとらえるかによってもその答えが変わってきます。
前者のケースでも、科学概念を逆に非常に広くとらえて、それぞれの民族が持っている自然に対する固有の分類のシステムとゆるく定義すると、それは文化人類学、特に認知人類学(cognitive
anthropology)でいうところのエスノ・サイエンスという概念になります。どんな民族もある意味自然を含む環境や社会についての発達した分類システムはもってますから、当然アフリカの諸民族にも多様なそれがあります。とはいえ、植民地以降のそれは民族誌的に研究可能ですが、植民地以前となると、それを実証的に分析するのに必要な歴史資料がありません。
また同様の点は後者の技術概念にも関係しますが、この方向に話を広げると、それらは歴史上に利用された多様な技術体系の歴史を一種の科学史の一部と考えてそれを分析するとなります。当然歴史的には、農業や土壌改良、灌漑、天文、冶金、その他の道具の生産等についての様々な痕跡があり、考古学的に分析することは可能です。実際植民地時代以前のアフリカ科学史と称して議論がある場合、これらの技術系の歴史が主ですが、ただしこれらがどういう形で知識体系として利用されていたかといった細部は当然文書記録がないと難しい。更にアフリカと一言でいっても、例えば古代エジプト王国みたいなのもアフリカに入れるのかは議論が分かれると思います。こうした困難のため、いろいろ研究が試みられ始めているようですが、総括的なアフリカ科学史といえるほどではないような印象です。