なかなかユニークなご質問ですね。答えはまず「No」です。
順を追って確認していきましょう。
日本の祝日って、その名称に合った祝われ方がきちんとされているのでしょうか?
これはそのままひっくり返し、
祝日がその名称にあった祝われ方がきちんとされているとは、どういう状態を言うのでしょう
と考えると回答が楽になりそうですね。
さて、あえてその状態に当てはめるなら「祝日をみなで祝う」あたりが適当な状態ではないでしょうか。しかし質問者さんによればこれは国が管轄して、進めるものであるようです。
逆に伺います。祝日を管轄して(人々に)勧めることは可能でしょうか? これもNoです。
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私が知る研究の一つに「日本のクリスマス研究」があります。
このクリスマスと関係が深い日本の祝日が平成の頃の天皇誕生日(12月23日)です。
話の流れでおわかりでしょうが、現在の上皇陛下の誕生日(12月23日)を平成の人々は「クリスマスとのつなぎの祝日」としてしばしば利用しました。
流石に昭和帝崩御の直後はそうした乱痴気騒ぎが控えめだったそうですが、
崩御から時間が経つごとに今、私達が知る「クリスマス」に上皇陛下の誕生日は飲み込まれていきました。
すなわち、クリスマスプレゼント、クリスマス商戦、サンタクロース云々という訳です。
この辺の事情は以下の書籍をご覧ください。
堀井 憲一郎『愛と狂瀾のメリークリスマス なぜ異教徒の祭典が日本化したのか』
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さて、事実として上皇陛下の誕生日は歴史的にみれば、平成の時代を通して意義深い日としては扱われませんでした。昭和帝崩御の直後はともかくですが。
さて、それではよりによってこの祝日を管轄して人々に勧める機関はあるかと言われれば、あったら大問題です。
戦前-戦中は皇居の近辺を電車が通る時、人々は皇居に向かってお辞儀をした-正確には、そうしないと憲兵に捕まる恐れがあった-と当時の日記にありますが、まさか平成の世にそういうことを行う機関も部署も存在しません。
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祝日は国家が制定します。しかし、その維持管理を行う組織なり機関は存在しないと考えられるでしょう。もしあるなら、上皇陛下の誕生日の際に憲兵が出動でもするのでしょうか。-もちろんそうではありません-
もっと平和な例でも山の日(8月11日)に国家主導のもと、国民が登山でもするのでしょうか。
それこそ祝日の精神に反するのではないですか?
以上の事実から考えれば、祝日は質問者さんが想定される「意義深いこと」に人々が触れるきっかけを与える日です。すべての人が意義深いことを強要される日ではありません。
他方、その祝日を大切にしたい人にとって祝日はありがたいことでしょう。
天皇誕生日には皇居で一般参賀が開かれます。その日を意義深くしたい人なら、行くことでそうすることができるでしょう。
あるいはまた、世間の大勢が乱痴気騒ぎをしたとしても、NHKあたりは簡単な特集ぐらいは組むでしょうし、自主的に祝日に関連する振る舞いをすることは可能です。
「今日はあの日だから」と人々の行動に働きかけ、そのきっかけを与えるのが祝日に期待されることでしょう。となると、祝日を管理する存在とは祝日そのものとでも言えるかもしれませんね。残念ながら組織ではありませんが。
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クリスマスと天皇誕生日を例にとりましたのでもうひとつの組織に触れましょう。
クリスマスはキリスト教の祝い事であり、意味はイエスの復活の日です。
あの処刑されて復活したという逸話をなぞる日な訳ですね。
ここに「本来のクリスマス」を想定するなら、クリスマス商戦とサンタクロースは居場所を失います。
キリスト教を管轄する最も大きな組織であるローマ・カトリック教会はクリスマス商戦への批判をしばしば繰り返しています。
https://web.archive.org/web/20051215091443/http://www.cnn.co.jp/world/CNN200512120015.html
web.archive.org
法王書斎の窓の下に集まった人々を前に、法王即位後初のクリスマスを前にしたベネディクト16世は「現在の消費社会では、歳末のこの時期になると残念なことに、(クリスマスの)真の精神を脅かす、商業主義の『汚染』にさらされる」と批判し、クリスマスは静かに厳かに祝うべきものだと呼びかけた。
法王はさらに、キリスト教徒は「素朴に、かつ効果的に、自分たちの信仰を示し、子供達に伝えていく」方法として、イエス・キリスト生誕を祝うゆりかごを各自が自宅に飾るべきだと呼びかけた。
https://www.bbc.com/japanese/46677980
ローマ法王フランシスコ1世(82)は24日夜、ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂でクリスマス・イブのミサを司式し、もっと簡素で身の回りのものにこだわらない生活を送るよう、先進国の人々に呼びかけた。
法王はまた、世界で貧富の差が大きく広がっていると非難。イエス・キリストは貧困の中、馬小屋で生まれたと言及し、人生の意味を考えるにあたり、全員がそのことに思いをいたすべきだと話した。
ではローマ・カトリックは祝日を人々にきちんとした祝い方を勧め、祝日を意義深い日とする組織なのでしょうか? もちろん違います。
ローマ・カトリックはクリスマスをクリスチャンとして祝いたい人にその指針を説明をしているに過ぎません。
クリスチャンでない人々、仏教徒やイスラーム教徒に対し「クリスマスを意義深いものとし、聖なる日として祝え」と発言したことは、流石に近代以降はないでしょう。
ここでもまた繰り返しになりますが、祝日はその日を意義深いと感じる人にとって大事な日であり、そうでないと感じる人にすれば商売の日であるか、単なる休日に過ぎないということです。