山﨑秀彦:ご質問ありがとうございます。
会計(財務)を仕事とした場合、その仕事に情熱を捧げ、自分を納得させるにはどうしたらよいか、というご質問ですが、まず、アートやスポーツの仕事を含めて、どうすれば情熱をもって仕事をすることができるのかという問題を教育の面から考えてみたいと思います。
東京大学の神野直彦教授は、「『学びの国』スウェーデンの教科書に学ぶ」という巻・頭・言において、社会学者の折原浩氏の「盆栽型教育」と「栽培型教育」という教育の分類を紹介し、わが国の教育を、スウェーデンのように、盆栽型教育から栽培型教育に移行させなければならないと主張されています(https://shinko-keirin.co.jp/keirinkan/csken/pdf/48_01.pdf)
盆栽型教育とは、あたかも盆栽を作るように、外側から一定の意図をもって人間を型にはめていく教育であり、栽培型教育とは、枝を伸ばしたいように伸ばさせて樹木を栽培していくような教育であるとされます。高度成長時代のように重厚長大の産業構造を主軸としていた時代には、盆栽型教育はその「効率性」において高い有用性をもっていたということができるかもしれません。しかしながら、そのような教育はもはや時代には合わない、という神野教授の指摘は、まさに正鵠を射たものであると考えます。そういった点で、これまでの大学での会計(財務)の教育は、私が行ってきた教育を含めて、あまりに盆栽型教育であったといわざるを得ません。
すなわち、ファイナンス(会計)の魅力を教えるという側面に欠けた教育であったと反省しています。それでは、ファイナンス(会計)の魅力とは何でしょうか。また、財務の仕事の魅力とは何でしょうか。それは、一言でいえば、企業を含む組織体の「全体的」活動を「貨幣的尺度」で俯瞰することができるようになるということです。「個々の細かい帳簿付けや細々とした報告書の作成は手間のかかる単純作業であり面白みに欠ける」という質問者のご指摘は、ある意味でその通りであると考えます。しかし、そのような個々の細かいプロセスを「統合」して、組織活動全体を俯瞰的に眺めることができるようになったとき、質問者の視界は一気に広がることは間違いありません。企業でも大学でも、組織全体の「お金の流れ」を俯瞰的に理解できている人間はごく少数です。もしかすると、社長でも学長(理事長)でも、そうした流れを把握できていない人間が多数いるのかもしれません。そうした流れは、部下からいくら丁寧に説明を受けても、本当の意味では理解できないのです。
最後に、財務の仕事の魅力を上で述べたとき、「貨幣的尺度」という言葉をあえて使いました。組織体の活動は、貨幣的尺度だけでは測れないし、計るべきではないというのが私の立場であることを付け加えておきます。お金の流れがある程度分かったら、次には何を分かろうとすべきなのか?勉強(研究)はさらに続いていくのです。