小川仁志:ヘーゲルを公共哲学の視点で捉え、最近の迷惑動画の問題を斬るというお題ですね。なかなかハードルが高いですが、これは大事なご質問なのでお答えしたいと思います。ヘーゲル哲学のテーマの一つに「承認」という問題があります。つまり、社会で認められたいという思いが動機となり、個々人の市民社会での経済活動を促進したという話です。とりわけヘーゲルの場合、市民社会には誠実さという倫理が貫徹していたことから、そうした健全な形での承認を求める行為が結実したのでしょう。実際、近代社会で認められるには、そうした倫理が必要だったわけです。それに対して、現代社会における違いとしては、炎上など悪目立ちすることが社会で認められるための一つの方法として事実上確立しつつある点が挙げられます。その風潮がこうした迷惑行為を生み出している背景にあるのかもしれません。あるいは、格差社会の中で、まともにやってもなかなか認められないという諦念にも似た感覚が若い人たちの間にはびこっているとしたら、それも原因の一つでしょう。では、どうすればいいか? フランクフルト学派についても聞きたいと書かれていますが、奇しくもフランクフルト学派の第三世代といわれる哲学者アクセル・ホネットは、萌芽的段階に過ぎなかったヘーゲルの承認論を発展させた人物です。ホネットによると、承認を求める闘争の結果得られるのは、自律だといいます。しかもそれは、家族からの信頼、自分の属する仲間などからの評価、そして社会における尊重といったものすべてがそろうことでようやく手に入れられると主張しています。遠回りなようですが、承認を求め悪目立ちしようとする人たちを自律した存在へと変えるには、周囲にいるあらゆる人たちが手を差し伸べる必要があるのです。さらにいうと、自分以外のことに無関心な社会が、ゆがんだ承認欲求行為を許容しているといっても過言ではないように思います。私たちにできることはたくさんあるはずです。