そもそもこの手の問いの最初の誤謬は「人生に意味がないのはネガティブなのだ」という結び付けだと思います。

仮に人生に最初から意味が付与されていたとします。例えば「政治家の家に生まれたのだから政治家になって地盤を守るのが良い人生なのだ」という人がいますが、これは「最初から意味の与えられた人生」ということになります。

ここまでは「それでは有意義な目標を自分で選べるのが良いことなのだ」ということになります。つまり自由意志のある人生が良い人生ということになるでしょう。

では「色々探してみたものの有意義な人生が見つけられなかった人は無駄な人生を送ったのか?」ということになります。

ここからは価値判断の問題なのでイデオロギーや宗教の領域になりそうです。例えば仏教では「それぞれの意識はすべて苦しみにつながっているがそもそもそんなものはない(空)のだ」と考えます。般若心経を読むとそのようなアプローチになっています。東洋的な考え方によればそもそも人生に意味があるのかとあれこれ思いを巡らせることそのものが無駄なことで苦しみの原因です。

またキリスト教は人間は生まれただけで神に受け入れられていると教えています。ただどのように肯定されていてどんな意味が付与されているのかを人間が知ることはできません。

これらの考え方をまず学んだ上で(受け入れる必要は全くありません)まず他人に対して「この人の人生には意味がないのだ」と勝手に判断するのをやめてみましょう。なかなか自分に対する考え方を改めるのは難しいのですが、他人に対して一方的に判断をするのは割と簡単にやめられます。

意外と「人生には意味があるべきだ」という決めつけが自分だけでなく他人をも苦しめているとううことが実感できると思います。それがなんらかの役に立っていれば良いのですが、単に苦しみのもとになっているのであれば、それはおそらく無駄なことです。

2 years ago

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