青木俊明:人生の意味(意義)については,客観的な意義と主観的な意義に分けて考えられると思います.客観的に考えた場合,意義があるとは,社会や他者にとって自分という存在が必要であることだと言えます.社会全体または地球全体でみた場合,超大国の大統領等を除けば,我々一人一人の存在は非常に小さく,全体に対して大きな影響を与えるとは考えにくいように思います.そのような見方をした場合,人生に大きな意義は見いだしにくいと思います.
一方,自分以外のものやシステムへの影響といっても,身近な他者に焦点を絞ってみれば,一人一人に大きな存在価値が見いだされることが少なくないでしょう.たとえば,多くの親は子供の存在自体の価値を高く評価しています.つまり,子供は存在するだけで,その子の人生は,親にとって価値あるものだと言うことになります.自分の人生が他人にとって価値あることは決して少なくありません.
人生が自分自身にとって価値があるかどうかは,その人の考え方次第ではないでしょうか.自分の人生に価値がないと諦めることもできますが,その状態で数10年を生きることは容易ではないでしょう.しかし,行動すれば,あなたの人生を他人にとって価値あるものにすることはできます.他人から必要とされれば,自分の人生が無意味だとは感じないと思います.
人間とは面白いもので,物的欲求は満たされても,幸福感は一時的であり,すぐに以前の水準に戻ってしまいます.そのため,成功者が最後に求めるものは,社会的承認や高い人間性だと言われております.成功者がそれらを求めるということは,他人から必要とされ,社会から認めてもらうことは大きな心理的報酬であり,自分の存在意義を実感できるからではないでしょうか.
人生の価値を自分の中だけに見いだそうとした場合,それは難しいかもしれませんが,「自分以外のものの中にある自分の価値」を考えると,無価値な人生というのはないように思います.
ちなみに,私は「人生の目的は精神成長」であり,人生の価値は「精神的な成長」だと考えています.客観的な正答はないので,これは自分の思い込みでしかありませんが,それにより,様々なことが生じる人生に対して,その意義を認めやすくなっています.人生100年と言われるようになってきましたが,無価値だと諦めて100年を生きるより,「自分の知らぬところで自分の人生は価値を生んでいる」と信じて生きた方が楽しく毎日を生きられるのではないでしょうか.