今知られている音義書はどれも後漢以降成立と考えられていると思いますが、これを音義書の発生が後漢以降と解釈するのが自然でしょうか?それとも、音義書の役割をしていた注釈書は前漢にも存在したけれども、「〇〇音義」という書名でなく、かつ逸書になったために現在では前漢の状況は不明と留めておくのが自然でしょうか?前漢でも経籍注釈書はあったわけなので、素人考えでは前漢で音義書の需要があってもおかしくない気がします。

古勝先生は『中国中古の学術と社会』の「注釈と書物」にて、前漢では経籍の注釈は師授によって学ぶものであったこと、また、『中國中古の學術』の「後漢魏晉の注釋家の序文」にて、後漢魏晋以降の注釈家は書物単体で学ぶ読者を想定しはじめることを指摘されていました。前漢の学習形式では音義書が不要であったのに対し、のちに書物単体で学習する人が増えて音義書の需要が発生した…みたいな敷衍をすると話が飛躍しすぎでしょうか?

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