これはどれだけ経験を経ても何歳になってもいつまでもつきまとう悩みだと思います。

しかし幸いにして、研究や芸術をはじめほとんどすべての創造的活動の能力は有能無能で測れるものではありません。頭が速く機転が利く人はタイムリーな成果を出すでしょうし、遅くてしかし深く考える人はより深い問題に答えを出すかもしれません。ようは自分のスタイルをみつけて極めることです。若いときはまわりにいる秀才と比べて劣等感を持つことが普通です。しかし何らかの情熱をもって創作活動(研究含む)に取り組んでいるひとは、自分はその秀才たちとは違う何かをもっているとこころの奥では感じているはずです。その直感はたいがい正しいものです。ただしその違いを開花させるまでもっていくためにはひたすら努力をしなくてはなりません。努力をしているうちに自分のやり方が独自のもので価値があることに気づくでしょう。それは10年先かもしれませんが、いつか気づき自分の活動の意義を自分で認められるようになります。そのときには「壁」は他者ではなく自分自身であることに気づいているでしょう。創造的活動においての本質は他者との比較ではなく自分との闘いです。

今の時代で残念なのはこのように本来創造的活動である研究でさえ、目的が規定されてしまっていることです。高い評価を得るためには論文をたくさん発表すること、著名学術雑誌に掲載されること、などが要求される雰囲気が強くあり、その目標に特化した秀才たちが抜擢されていきます。現実にはその流れに乗らないと定職を得ることは難しいかもしれません。その意味では今の研究業界には優秀を測る軸ができていてその軸上で優劣がはっきり現れる「競技」になっているのかもしれません。しかし研究が競技化してしまっては長い目でみて独創性は確実に失われていくでしょう。健全な分野であれば上の人達もそれはわかっているはずです。独自の軸をもって努力して成果をだしていればきちんと評価されるはずです。

現実問題として今の研究活動においては、「競技」としてある程度の成果を示しつつ職をつなぎその間に自分の独自性を開花させてゆくことが(超秀才以外は)要求されますが、これは簡単なことではないかもしれません。しかしそれはどんな活動でも同じです。要求されている成果を出してゆく努力の中で、自分のスタイルを見つけてそれを極めていってください。そのプロセスの中には有能無能や壁という概念はありません。

2021/08/12Posted
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