以下では「算数・数学」をまとめて「数学」と書くことにします。

数学の問題が何か提示されてそれに答えようとする場合、問題の意味を理解しないことには何もはじまりません。問題の意味を理解していない状態で問題を解くことはできませんし、仮に解けたとしてもそれで本当に解けているかどうかがわかりません。ですから、理解することは非常に大切なことです。

あなたのご質問に合致しているかどうかはわかりませんが、以下の三点について思うところを話したいと思います。

  • 「問題を解く」のだけが数学ではないと認識すること

  • パターンに当てはめるという習慣から脱却すること

  • 自分や他人との対話によって理解を確かめること

「問題を解く」のだけが数学ではないと認識すること

ご質問の中に「算数・数学を解くことはできない」という表現が出てきました。数学の授業では数学の問題が提示され、それを解くことが重要な活動の一つとなっています。数学と言われて「試験」や「テスト」をイメージする方も多いと思います。でも、問題を解くのだけが数学ではありません。

数学的な内容が書かれた文章が目の前にあるときに、どのようにその文章に向かえばいいか。

数学的な概念や数学に関わる手順を学んだとき、ちょうど新しいおもちゃを手に入れた子どものようにその概念や手順で「遊んでみる」という活動がとても大事です。たとえば「正負の掛け算」についてルールを学んだときに、自分で具体的に計算をして「この結果は何になるんだろうか」と考えるということです。あるいは「微分」という計算方法を学んだときに、「こういう関数を微分したらどうなるんだろうか。なぜそんなことがいえるんだろうか」のように考えるのです。

新しいおもちゃを手に入れた子どもが、おもちゃで遊んでいるうちにコツをつかむことがあります。「ははーん、ここのレバーを引っ張ると音がでるようになっているな」や「ここのダイヤルを回すと、こっちの蓋が開くんだ」のような、小さな発見をしていくわけです。このように「遊びと試行錯誤」をしているうちに、小さな「発見」があり、「ははーん」と思うこと。これはそのおもちゃを「理解」するための大切なプロセスになると思います。

数学であっても、そのような「おもちゃ」のように遊ぶことが可能なのですが、あまり学校ではそこに十分に時間を費やす余裕がないと想像します。しかし、数学が得意な人・好きな人は、自然に数学的な概念を使って「遊んで」いるはずです。そのようにして概念が手になじんだ状態になっている。すなわち「理解」している状態になっているのです。

パターンに当てはめるという習慣から脱却すること

数学の問題に取り組むときも実は同じです。問題を読んだときにまずはそこに書かれていることは、具体的に何を言ってるのか、どういうことなのかを考えることが大事になります。いわばそこでも問題文に書かれていることを使って「遊ぶ」ことになります。もちろん試験中にたっぷり時間を使うわけにはいきませんけれど、小さな数を使って試してみたり、言葉で書かれていることをもとに図にしてみたり、自分が数学で学んで自家薬籠中のものにした「遊び方」を利用して、問題文に取り組むわけです。

このような態度とだいぶ離れてしまうのが「問題を見た瞬間にパターンに当てはめて解答を思い出そうとする態度」です。試験問題のパターンを丸暗記して、いま提示されている問題はそのパターンのどれであるかを探して、そして対応する答えを思い出そうとする。それが絶対に悪いわけではありませんが、必ずそのような行動を取るのはよろしくありません。

なぜなら、問題のパターンは無数にありますので、「パターンに当てはめる」方策で臨むならば膨大な時間を苦しみつつパターンを覚えることに費やし、しかも試験が終わったら忘れてしまうことになりがちだからです。数学を学ぶことで培った意味を考える力は、数学以外の問題を考えるときにも役立つはずなのですが、数学の問題をパターンに当てはめて解くことを第一義に置いてしまうと、数学以外の問題を考えるときの役に立たないことになります。

パターンに当てはめることがいつも悪いわけではないことを強調しておきます。しかし、たとえば「問題文中にこういう単語が出てきたらこの解法」のような浅いパターンマッチばかりでは、理解には結びつかないでしょう。

自分や他人との対話によって理解を確かめること

ここまでは個人としてどのように数学に取り組むかを書いてきましたが、もう少し掘り下げて書きます。私が非常に大切だと思っているのは「対話」です。数学の文章を見たときに、そこに書かれているものを題材にして自分自身と「対話」をすることで理解を確かめることができます。

たとえば、「これは具体的にどういうこと?」のように自分あてに質問します。自問です。そのような自問に対して自分で「これこれこういうことだよ」と答えます。自答です。自問自答で例を作るわけですね。

あるいはまた「これがこうなら、こんなこともいえるの?」や「どうしてそれが正しいとわかるの?」や「これの他にあてはまるものはないの?」といった素朴な質問も考えられるでしょう。自分に対してそのような問いを発し、それに答える。答えから新たな疑問や発想が浮かんだら、それを自分で確かめる。このような活動は、学ぶことの本質につながっていると思います。

もちろん、同じような内容に関心を持っている仲間との対話ができるなら、それもすばらしいですね。

数学的な内容が書かれた文章を読むことだけではなく、自分が理解したことを文章に書いてみることはすばらしい活動です。書くプロセスの中で、自分の理解のまずいところが浮き彫りになります。また書く練習をすることは、自分が読むときの助けにもなるからです。

《自分の理解に関心を持つ》態度

ここまで書いてきたような話題を話すときに、私はいつも《自分の理解に関心を持つ》態度が大切であるという話を添えるようにしています。学ぶ人がいつも「私はこの話を理解しているかな?」という意識でいること。「うん、理解しているぞ。なぜなら……」と考えたり、「いや、理解が足りないな。特にここのところがわかってないぞ」と考えたりする。それが《自分の理解に関心を持つ》態度です。

以上、次のような三点についてお話しし、《自分の理解に関心を持つ》態度についてお話ししました。

  • 「問題を解く」のだけが数学ではないと認識すること

  • パターンに当てはめるという習慣から脱却すること

  • 自分や他人との対話によって理解を確かめること

関連する本や読み物へリンクします。

数学ガールの秘密ノート/学ぶための対話 - この本はまさに「理解」というものを考えるための対話物語になっています。簡単な数学を題材にして「理解」や「考えること」について考えます。

https://note12.hyuki.net/

数学ガールの秘密ノート/図形の証明 - この本もまた「理解」についての対話物語ですが、さらに自分の考えをどのように表現するかについても、やさしい証明問題を通じて考えていきます。

https://note15.hyuki.net/

《自分の理解に関心を持つ》(前編・後編)- 「数学セミナー」誌に掲載したコラムをPDFの形にまとめました。《自分の理解に関心を持つ》態度を簡潔に紹介したものです。

https://mm.hyuki.net/n/nca5303eac345

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