おいしいものは人と一緒にワイワイ食べるとますますおいしくなる、とよく言いますよね。
そのとおりだなぁと、自分自身、深くうなずきます。
一方で、人と一緒にワイワイ食べることで味がよくわからなくなる、という側面もあるかと思います。
過日、某イタリアンレストランの期間限定の一皿を目当てに、友達と出かけました。
初めて訪れた店でしたがとっても素敵で感じよく、魅力的なメニューがそろっており、いろいろ注文してワインをぱかぱか空けて、この上なく楽しい時間を過ごしました。
大好きな店のひとつとなったし、友達にも喜んでもらえて、大成功な夜でした。
しかし、目当てだったメインの一皿の味はディテールを覚えていません。
カメラロールを眺めて「写真が残ってるから食べたのは間違いない・・・」「おいしい~!と叫んでた記憶はあるから、おいしかったんだろうね」「デザートまでがっつり食べてるけど、これもたぶんおいしかったよね」と語り合いました。
数か月たったいま、楽しい夜の思い出を反芻しつつ、あれはいったいどんな味だったんでしょうね・・・と空を見つめています。
そもそも私は、飲みとか喋りのほうに身が入ってしまうと、食べることが疎かになる傾向があります。
会話が弾めば弾むほど、料理の味については上の空です(むしろ不味ければ意識が引き戻されるけど)。
コース料理などでは皆から遅れ気味になってしまい、気づくたび焦って詰め込むので、十全に味わえているとは言えません。
高級な料理、珍しい食べ物などについては、なんだかもったいないな・・・と思ってしまい、最近では、これはという料理はランチにソロでじっくり(酒なしで)むっつり(無言で)神経を研ぎ澄ませながら味わおう!という方向です。
でもでも、それもなんだか自己チューな在り方かなぁ・・・と逡巡してしまうのです。
おいしいものを独り占めしてるみたいで・・・。
そのへんのバランス、稲田さんはどのように考えていらっしゃるのか、お聞かせいただけますと嬉しいです。
長々と失礼いたしました。
常日ごろより、ご著書、レシピ、さまざまな発信に感銘を受けており、食生活に豊かな色を加えてくださっていることに心から感謝しています!
(ちなみに島根県東部出身で、茶碗蒸しには春雨を入れたい者です)
(ちなみにちなみに、島根県東部出身者として、そばは出雲そば原理主義です)