橋本 省二:この計算は第一原理計算です。最新のスパコンで初めて可能に!そんな自慢を聞くことがあります(私も自慢することがあります)。ミクロの物理法則だけをあたえて、あとはすべて計算で求めた。そういう意味ですね。だから素粒子の計算のことかな、と思ったら物質中の電子の話だったり、分子の構造の話だったり、いろいろです。果ては「〇〇模型の□□近似と△△近似を組み合わせた世界初の第一原理計算」とかいう珍妙なものが登場して驚いたこともあります。科学研究とはいえ人のやること。用語はインフレするのです。 何の話でしたっけ? クォークの質量ですか。クォークの質量は計算で出てくるものではありません。自然界の基本定数の一つですから、これを与えられたものだとして計算するほかないのです。ただし、クォーク質量の「決定」には計算が必要です。もしクォーク質量がこの値なら、実験で測れる(例えば)パイ中間子の質量がこうなるはず。これを逆につかってクォーク質量の値を実験値と合うように決めるわけです。物理学の基本定数の一つを実験値をもとに決めるわけですから、これはこれで価値あることです。 自然界には6つのクォークがあって、それぞれ異なる質量をもつ。だから、それらで作られるハドロン(クォークの束縛状態)の質量は異なる。それぞれが実験値と合うように決める。そういうことですね。 ちょっと待て、クォークの質量はヒッグス機構で生まれると聞いたぞ。だったら、その値を含めて計算で求まるはずだ。第一原理計算なら。そう思った人は正しいです。ただし、ヒッグス機構はクォークがハドロンをつくる強い力よりもはるかに短距離で起こることです。1000分の1くらいです。だから、ヒッグス機構を計算するまでもなく、クォークに質量があると思って計算しても十分な精度が得られることになります。それに、ヒッグス機構自体は簡単な話なのでスパコンを使った計算は必要ないのです。元をたどると、それぞれのクォーク質量は対応する湯川結合定数に置き換えられるだけなので何の解決にもなってませんしね。 いろんな「第一原理計算」が存在する理由がわかっていただけますでしょうか。原子のなかの電子の軌道を計算するのにクォークを考える必要はない。全然ちがうスケールの話なのでそこは無視して1個の陽子や原子核があると思って始めても十分な精度が得られるんですね。脱線してすみません。(Read more)