福島真人:これはかなり微妙な問題ですが、基本的に私はこの2つの間は補完関係はなく、どちらかというとその関係は一方的なものだと思います。例えば哲学者が科学について興味を持ったり、科学的な諸議論を援用してそれを自分の哲学的、あるいは社会科学的な議論の中に導入するというパターンは結構ありますが、果たしてその逆があるかというとかなり怪しい。
例えば科学技術社会学(STS)にも大きな影響を与えたセールは、科学はその内部に完全な反省装置を持っているため、いわゆる科学哲学というのは不要、と断定しています。またもともと現役の分子生物学者で、後に科学史に転じたラインバーガーも、科学と芸術(哲学もそれに準ずると思いますが)の関係は一方通行で、それは科学/STS関係も同じ、としてます。STSは科学の社会的動態に興味がありますが、それはSTS側の関心で、科学側がそうした研究そのものを全く知らないというのもよくある話です。
もちろん個別の例を挙げれば、アインシュタインが若い頃マッハの哲学に非常に影響を受けたとか、あるいは近傍でもある細胞生物学者がフランス哲学(ドゥルーズやシモンドン)おたくだったというケースも聞いたことはあります。しかし個別の科学研究領域に直接関係がある形で、こうした哲学的議論が影響を与える場面は想像しにくい。ラインバーガーがいうように、科学が他の領域に比べ著しく強い構造をもった知識生産体制をとっているからで、ここで確立している一連のチェックシステムのレベルが他の領域では存在しないからです。科学の科というのは細かいという意味がありますが、まさに厳密に細分化して敵を撃破するというか。
ただし環境問題やAI問題が典型ですが、人文社会を含めた超学際的なアプローチが求められる場面も増えており、ここでは科学技術的論理をはるかに超えた相互協力が求められます。こういう場面でこそ補完的であるべきですが、その実際を見る限り、お互いの軋轢も少なくない。相互理解にはまだ多くの努力が必要と思います。