ドイツ語やフランス語は「女性名詞」と「男性名詞」という分類がありますが、どのような理屈で性が決まっているのでしょうか?

 理屈はないといってよいです。私は、文法的な性とは一種のフェチであると考えています。もう少し正確にいえば、言語における文法性とは人間の分類フェティシズムが言語上に表わされた1形態である、ということです。

 私もドイツ語やフランス語を学んでいますので、今回の質問の意図はとてもよくわかります。私自身は文法性のない英語とその歴史を専門としているのですが、実は千年ほど前の古英語もゲルマン語派の仲間であるドイツ語と同様に、名詞に「男性」「女性」「中性」といった区別が存在していました。英語の場合、幸い、後の時代に文法性は消失しましたが。

 ドイツ語やフランス語では、「男性名詞」には男性を表す語が多く含まれ、「女性名詞」には女性を表す語が多く含まれていることは確かです。実際、古英語でも似たような状況がありました。しかし、この傾向に当てはまらない語も多いからこそ、問題になるのですよね。

 例えば、「太陽」はドイツ語では女性名詞 Sonne ですが、フランス語では男性名詞 soleil です。「月」は、逆にドイツ語では男性名詞 Mund ですが、フランス語では女性名詞 lune です。ナゼ?と問いたくなります。しかし、それぞれの母語話者に尋ねたところで、完全に満足のいく答えは返ってきません。基本的には意味論的な理屈はないということです。(ただし、特定の語尾をとる名詞は男性名詞であるとか女性名詞であるとか、形態論的に説明できることはしばしばあります。ですが、それ自体がナゼ?というさらなる疑問を生みます。)

 ドイツ語、フランス語、古英語をはじめとする印欧諸語の研究では、伝統的に名詞を2、3のグループに区分して、それぞれを「男性名詞」「女性名詞」「中性名詞」などと呼ぶのが習わしでした。しかし、この区分のラベルに含まれている「性」という概念・用語こそが、この現象の理解を妨げているのではないかと、私は考えています。この際、「性」に基づくラベルはきっぱりとやめてしまい、「グループAの名詞」「グループBの名詞」「グループCの名詞」とか、「甲」「乙」「丙」とか、「1」「2」「3」などの無機質なラベルを貼りつけておくほうが、かえって混乱が少ないのではないかと考えています。「男性」や「女性」などとラベルと貼ってしまったのが、混乱の元のように思われます。

 人間には物事を分類したがる習性があります。しかし、その分類の仕方については個人ごとに異なりますし、典型的には集団ごとに、とりわけ言語共同体ごとに異なるものです。それぞれの分類の原理はその個人や集団が抱いていた人生観、世界観、宗教観などに基づくものと推測されますが、そのような当初の原理を現在になってから完全に復元することは不可能です。現在にまで文法性が受け継がれてきたとしても、かつての分類原理それ自体はすでに忘れ去られており、あくまで形骸化した形で、この語は男性名詞、あの語は女性名詞といった文法的な決まりとして存続しているにすぎなということです。

 したがって、「今となっては」その分類に明確な理屈を認めることはできないってよいと思います。文法性とは一種の分類フェティシズムの帰結、すなわちその言語集団がもっていた物の見方のクセの現われ、くらいに理解しておくのが妥当ではないでしょうか。補足的に、私の書いた別の記事「#4039. 言語における性とはフェチである」もご一読ください。

2022/02/04Posted
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