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「絶対的な幸せを感じられるようになりたい」ということですが、考えを進めていく上ではあなたがおっしゃる「絶対的な幸せ」というのはどんなものなのか、パラフレーズ(言い換え)してみた方がいいように思います。

たとえば絶対的な幸せを感じることを「ずっと幸福感を感じていたい」という意味にパラフレーズしてみます。するとそれはかなり難しいことがわかります。

人間の感覚というものは、多くの場合には「変化」に対して敏感なものです。同じ刺激をずっと受けていると慣れてしまい、感じなくなるのが普通です。幸せを感じる感覚を幸福感と表現するならば、それも同じことだと思います。

普通に生活しているときには何も感じないけれど、熱が出て苦しい病気から回復したときに「普通に起きて歩けるだけでこれほど幸福なのか」と感じたことがありますよね。ですから、何か特定のことがあるだけでは幸福感を抱き続けることは難しいと思います。

また絶対的な幸せを感じることを「失われる心配がない何かを手に入れたい」という意味にパラフレーズしてみます。しかし、それも難しそうです。

というのは、じっくりと考えてみるとこの世のものはすべて腐ったり、壊れたり、変化したりするからです。つまり「これがあれば大丈夫」と思ってもその「これ」はいつか失われてしまうでしょう。

何よりも、自分自身が変化していきますし、自分の命だって永遠ではありません。ですから「失われる心配がない何かを手に入れたい」というのも難しそうです。

ここまでのパラフレーズの例で気がつくのは、「自分が考える幸福とは何だろうか」ということを明確化しないことにはていねいに考えを進めること自体が難しそうだということ。問いの立て方が変わると、答えの方向性も大きく変わるからです。

一ついえそうなのは、幸福感は「自分」を抜きにしては考えられないし「変化」を抜きにしても考えられないということです。そういうことからも「私が考える幸福とは何だろうか」を問うこと自体に大きな意味がありそうです。

それは、自分が持っている価値観を知ろうとすることともいえますし、自分自身を知ろうとすることだともいえます。

あなたが書いておられるように、年齢やライフイベントに応じて感じる幸せは変化するでしょうけれど、その際に年齢のなすがまま、ライフイベントに流されるままでいるのではなく、そのつど「ああ、私とはこういうことに幸せを感じる人間なんだ」と思ったり「私はこういうことを大切にしているんだな」と考えたりすることが大切ではないかと思います。

私自身はクリスチャンなので、聖書に書かれている神さまとの関係において「自分」という存在を考えることが多いですし、人間関係における「愛」というものを通じて幸福を考えることが多いですね。

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結城浩

EngineerWriter

本を書いて生活しています。著書は『数学ガール』『プログラマの数学』『数学文章作法』『暗号技術入門』など多数。文章を書くこと、学んだり教えたりすること、プログラミング、数学、人と人とのコミュニケーションなどに関心があります。詳しい活動内容は https://mm.hyuki.net/n/n5f00c9cd281c をご覧ください。アマゾンの著者ページは https://link.hyuki.net/amayuki にあります。なお、私は数学読み物を書いていますが、数学科出身でもありませんし、数学の研究者でもありません。2014年度の日本数学会出版賞を受賞しました。〔ゆうき・ひろし〕