小田部正明 (Masaaki Kotabe):この質問はとても面白いばかりでなく、日本文化にとって非常に大切な質問だと思います。私は国際経営を専門にする教授の一人として、この問題は何度も考えてみたことがあります。新しいエンターテイメントにかかわらず、日本では何故いろいろな知識が海外から受け入れてきたのかという汎用的な質問に変えて答えてみます。勿論、専門家によって答えは多数あるのでしょうが、私の専門的な観点をいくつか使って説明します。地理、歴史、文化、教育の観点です。 第1に、世界地図を見れば分かるように、日本は最東端に位置しています。マンモスが存在した1万年以上前の氷河期のころは、現在の朝鮮半島と日本は地続きでした。人間が当時何もなかった辺鄙な日本列島に移動してきたのはその頃でしょう。一般に新天地を求めて移動する人々は、当時生活していたところで何らかの理由で生活が苦しく新天地を求めて移動する訳です。最初の日本列島に移動した人々はそのような人々だったのでしょう。当時、勿論太平洋を渡って日本に到着する人間はいなかったでしょう。そう考えると、日本に住むようになった人々の知識源は現在の朝鮮半島を含め日本列島の西側にあった訳です。ですから、1万年以上前から、日本列島に移住した人々は全ての知識やモノを必要に応じて外(西側の大陸)から求めてきていました。その文化が海の底流かのように当時から残っているのだと思います。 第2に、歴史上、西暦前から発達していた中国の影響が大きかったことが挙げられます。日本は国として統一していなかった時代に、6世紀までには中国から仏教とともに漢字も日本に入り、中国の漢王朝の文化、都市計画、そして政治統制等を取り入れ、6-7世紀にかけて聖徳太子が日本の政治社会の確立に貢献しました。つまり、政治経済的に遅れていた日本が中国のモノを全て取り入れることによって、7世紀までには中国に劣らない日本と言う国を確立したわけです。それまでは中国に対して畏敬の念を抱いていただけでなく、かなり劣等感も持っていたと思います。その劣等感を中国文化を物真似(吸収)することによって、追いつき対等になっていったのでしょう。中国から良いモノを学び、受け入れ、日本の文化・環境に合うように採用していく日本の志向を、9世紀の菅原道真が「和魂漢才」と名付けました。 第3に、文化上、中国志向の「和魂漢才」が長く続きました。15-16世紀の下剋上の時代に入り、織田信長が最初に日本全体を征服し将軍の座に就けた理由の一つに、信長がポルトガル語を通して西洋の軍事技術(鉄砲など)を誰よりも最初に取り入れ、当時の刀での戦いでは到底勝てない軍事力を付けました。これは単なる西洋(文化)の物真似と言うよりは、素晴らしいものは何でも取り入れるという日本の文化を作り上げたといって良いでしょう。明治時代に入って森鴎外が、外国から良いモノを学び、受け入れ、日本の文化・環境に合うように採用していく昔の「和魂漢才」をもじって「和魂洋才」と名付けました。ですから、日本は昔から利用できる良い知識を中国、その後、西洋から取り入れるという姿勢ができたのだと思います。 第4に、日本のモノよりも発展した知識を理解・吸収するには教育が大切です。日本は昔から天然資源には恵まれていなかったので、唯一利用できる資源は人々の能力です。つまり、日本は昔から教育(士農工商の基では武士に限られていたかもしれませんが)に力を入れています。その証拠に、西洋の遥かに優れた軍事技術を明治維新(1868年)前後から取り入れ、明治維新と共に明治政府は基幹産業ともいえる鉄鋼、造船、鉄道開発に力を入れ、ほんの30-40年と言う短い期間に、世界で最大の経済力のあった中国(清国)を日清戦争(1984-1985年)で破り、その後当時の大国ロシアを日露戦争(1904-1905年)で破った事実を考えてみてください。戦争が良いとか悪いとかの話でなく、天然資源のない日本が世界の大国に匹敵する軍事力(技術・知識)を得たことを考えるだけで、如何に日本が人的資源(教育)への投資をうまくやり、そして日本国を立ち上げる戦略に長けていたかが伺えます。 日本はこうして海外の良いモノを取り入れ発展してきました。現在の日本はこうして世界のトップに入る経済力をつけてきました。多少あなたの質問から逸脱しますが、最近の日本はこのハングリー精神が徐々になくなってきているように思えます。もう一度、トップの一国となった日本でも、良いアイデアは外国ばかりでなく、どこから(日本も含めて)でも立ち上げることはできるという「和魂地才」とでもいえる精神を持ってもらいたいと思います。(もっと読む)
ikeken:「日本人が得意」とおっしゃるのは、日本人が他国の人々に比べて特別な特徴を持っていて、他国の文化をヨリ吸収し、ユニークなエンタテインメントとして発展させている、ということを意味しているのでしょうか。 エンタに限らず、歴史を振り返ってみれば、たとえば仮名漢字はたしかに他国の文化の吸収ですし、仏教もそうなら、和魂洋才というのもハイブリッドカルチャーの特徴を指している、とは言えるでしょう。 ですが、それって日本がユニークで他国にない、だから日本人には特別に特徴がある、と言えるのでしょうかね。日本特異論を見ていると、ぼくには比較の視点が欠けているように思えてなりません。 アメリカは人種のるつぼであるのみならず、カルチャーのるつぼでしょう。それが世界にもまれな創造的なモノ、コト、アイデアを生み出しているのは誰でも知っていますね。日本よりすごいかもしれません。中国の歴史をたどってみると、複数の文化が混交していった過程が見えることでしょう。韓国は長い間、儒教の故郷を中国から受け継いだと主張していました。これはエンタではないけれど、文化を吸収し、我がものにしている1つの例でしょう。ヨーロッパに行ってもこうした例はいくらでもあると思います。たとえばスペインのイスラム文化との融合もそうでしょう。ローマ人はギリシア文化を吸収しませんでしたでしょうか。ということで、日本特異論ではなくて、異文化吸収が自文化の発展に寄与しているかどうかを多文化比較して、その中で日本はどれだけユニークかを語る、ということを目指さないと、と思います。ぼくは日本の特異的な文化的位置を検討した本も書いていますが、残念ながら、それはあくまで一般論の中での日本の位置づけに過ぎません。(もっと読む)