小説に限らず、文章には書き手の意図というものがあります。大ざっぱに表現するなら「私はこの文章を通じて、こんな考えを読者に伝えたい」や「私はこの文章を通じて、読者にこんな気持ちを抱いてもらいたい」といった願いのことです。

しかし、読者がその文章を読んでも書き手の意図とは違う考えを読み取る場合はありますし、書き手が願った気持ちとは真逆の気持ちになる場合もあるでしょう。それは、もしも書き手の意図を「正」とするならば「誤読している」と表現してもおかしくはないと思います。

では、ご質問の中にある「小説家が解釈や意図などを公にしない限り、“誤読”は基本的にない」というのは間違いかというと、必ずしもそうではありません。より正確に表現するなら「小説家が解釈や意図などを公にしない限り、解釈や意図と違う読み方をしているかどうかはわからない」となるでしょう。

別の言い方をするなら、何を「正」とするかを定めない限り「誤」は定まらないということです。

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小説の場合には、書き手が意図したものはありますけれど、それをすべて「実はこの小説の意図はこれこれこういうものです」のように簡単に表現できるとは限りません。表現できない場合が多いでしょうね。簡単に表現できないからこそ、小説という形態を選んでいるわけですし。そうすると、そもそも小説家が解釈や意図(つまり書き手が「正」と考えていたもの)を公にできるかどうかはあやしいです。

また、論文ならばまだしも小説の場合にはその解釈がひとつとは限りません。ひとつの言葉、ひとつの物語の中に多義的な解釈を込めるというのはふつうにあることですし、また(これは言葉のおもしろいところなのですが)作者の意図とは関わりなく生まれてくる意味というものもあります。そしてそれを読者が読み取る場合だってあるでしょう。実は小説を読む楽しみのひとつはそこにあります。

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ですから、あなたの質問にある通り、誤読は基本的にない(適切に定めるならば誤読だといえるものはあるけれど、それは非現実的な可能性が高い)といえます。

それに、小説を読む際に「これは誤読だろうか」と悩みすぎるのはつまらないことですね。

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しかし、「自分のこの読み方は適切なのかな」と思うことがあるのも事実です。「誤読」のように表現して正か誤か、真か偽かを定めるのではなく、より適切な読み方や、より深い読み方、より楽しい読み方、より広がる読み方というものに目を向けるのは悪いことではなさそうです。

同じ本を読んだ仲間がいるなら「あの本読んだんだね。どう思った?あの登場人物は、どうして最後にあんなこと言ったんだろうね」などと話し合うのは普通にありますし、楽しいことです。それは誤読しているか否かを確かめる作業ではなく、相手の読み方に触れて(自分の読み方と比較して)、よりその作品を(そして相手とのやりとりを)楽しみたいという気持ちの表れではないかと思います。

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ところで私は『数学ガール』という数学を題材にした青春物語を書いています。そこでは「誤読」という表現はここまでとはやや違った意味を持ちます。物語の上では誤読はないにせよ、数学的内容に関しては「誤読」と表現した方が適切なものがあるからです。

たとえば『数学ガール/ゲーデルの不完全性定理』という物語の中で、「ゲーデルの不完全性定理」というものがたくさん誤解されがちだという話題を描き、この定理はあくまで数学の定理であって、「数学は不完全である」みたいな変な解釈をしてはまずいということが読者に伝わってほしいと願っています(それは物語のストーリーとは違う側面です)。

でも残念ながら、私のこの本を読んで「やっぱり数学は不完全だったんですね!納得しました!」という感想をいただいたことがあります。これは「誤読」です。もちろんそのように「誤読」した読者を責めているのではなく、自分の非力を嘆いているわけですけれど。

◆『数学ガール/ゲーデルの不完全性定理』

https://www.hyuki.com/girl/goedel.html

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以上、「誤読」をめぐって思うことを書きました。関連するかもしれない読み物へリンクします。

◆「読者を非難する著者」の話。

https://mm.hyuki.net/n/n9a945789ad1a#80b0eb0f-2a13-4fed-a948-4a084df8482b

◆エゴサーチで傷つかない?(本を書く心がけ)|結城浩

https://mm.hyuki.net/n/n22d024bda2fb

◆的外れな指摘をしてくる人への対処 - 文章を書く心がけ

https://mm.hyuki.net/n/nfb1ab94c2381#bc11de1d-ffe0-4ce0-83f1-aa05698c4baa

2022/10/05投稿
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