ホラーの特徴のひとつとして「嫌悪感」「忌避感」をエンタメとして扱うという側面はどうしてもあると思うのですが、そういう世の倫理に反したインモラルな趣味嗜好は「猟奇」とも呼ばれてきました。

かつてはこの「猟奇」の対象として身体的な障害がカジュアルに、ときに無配慮に好奇の目に晒されてきました。戦前の見せ物小屋や、文芸の分野でいえば乱歩の「孤島の鬼」なんかが代表例ですね。孤島の鬼は現代で扱うにはかなり際どい内容で、しかしその濃密な怪奇の世界に魅せられてこのジャンルに入門した自分のような読者も多いと思います。

このような「身体としての異形」をダイレクトに扱う作品はこの現代では当事者性が高いゆえに倫理的批判に晒されやすく、ホラーのテーマとしてはなかなか扱いづらいものだと思います。いわゆる"価値観のアップデート"によって時代遅れとなった非倫理的モチーフとも言えるかもしれません。この懸念を見事に覆してくれたのが彩藤アザミ『不村家奇譚』でした。本作は孤島の鬼×べっぴんぢごくとも言うべき年代記形式の怪奇小説で、この現代であえて身体的欠損を扱う必然性を示しつつ妖しく濃密な怪奇世界を描き出してくれた傑作でした。この分野の先人である綾辻行人が「2020年代の現在にあってどうしてもこれを書かずにはいられなかった作者の想いに強く心を打たれた」とコメントを寄せたように、「異形」に対するスタンス表明とも取れるこの作品は自分のような読者にとっては単なる物語という以上の意味を持ち得たのです。

さて、この作品以前にも「身体的異形を愛でることの是非」について描いた社会派ホラーミステリがあります。木原音瀬『コゴロシムラ』です。本作は、欠損の美というインモラルな魅力に抵抗を覚えつつどうしてもそこに強く惹きつけられてしまう主人公の心の動きをとある社会問題を絡めながら紐解いていきます。身体的欠損を美として愛でることは許されるのか。これは作品のテーマでありダイレクトに思想の表明だと思います。示された結論に賛否はあると思いますが、こうして様々な作者が作品を通してそれぞれのスタンスを表明することでジャンルの輪郭が明確になっていくのだと思います。

フィクションと現実は異なるといいますが、実際のところ当事者性の高いセンシティブなモチーフやテーマを扱う際にはその作品は社会と無縁ではいられません。ホラーが多かれ少なかれ「反倫理」に根差したものである以上、何が倫理的であり何が倫理的でないのか、そしてその倫理的でないものを扱ううえでの作中倫理はどうあるのか、ときに表明を迫られることはあると思いますしそれは取りも直さず創作物を通じた思想の表明であると思うのです。

28日

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ケイネすけさんの過去の回答
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