「大統一理論は死んだ。私たちの実験が殺したんです」。晩年の小柴昌俊先生が、静かに、しかしきっぱりとおっしゃっていたのを思い出します。実験とはもちろんカミオカンデ。巨大な水タンクに光検出器を並べた装置で、陽子が壊れるときに出る光をとらえるための実験でした。大統一理論によれば陽子が壊れて別の粒子に変わる過程がある。ごく稀ではあっても(大量の水があれば)測定可能な頻度で。しかし、建設されたカミオカンデが陽子崩壊をとらえることはありませんでした。理論的に魅力的な大統一理論は、こうして実験でとどめを刺されたわけです。

ところが、理論屋というのはいい加減なものです。一つの模型がうまくいかないとなると、一夜のうちに少し違う模型をひねり出してくる。これなら今のところ見つからなくてもおかしくないけど、あと10倍大きい装置を作れば見つかるかもしれない。無責任にもそんなことを言い出します。例えばほら、超対称性をもった大統一理論です。超対称性があれば統一のエネルギースケールが上がるので陽子崩壊の確率が減るというわけです。じゃあ、ということで何年もかけて、大変な予算と労力をかけてスーパーカミオカンデという大きなものが作られた。しかし、いまのところやはり陽子崩壊は見つかっていません。やはり大統一理論は死んだんでしょうか?

「大統一」とか言うとかっこいいので、自然がそうなっていてほしいと思うんですが、理論家たちがこの理論を捨てられないのは、かっこいいだけが理由ではありません。クォークやレプトンがもつ電荷とかその他の量子数がでたらめだと、理論的な矛盾がでてきて素粒子の標準模型は成り立ちません。(アノマリーの相殺といいます。)ほら、クォークの電荷が +2/3 とか −1/3 とかありますよね。あれはうまくできていて、適当に選んだ数字ではだめなんです。ちょうどこの割合でないといけない。だから、異なる種類の粒子(アップクォーク、ダウンクォーク、それに電子)には元々関係があったはずだ。そう考えるのが自然です。それを保証してくれるのが大統一理論。みんな元は同じ粒子だったと考えればいいというわけです。

大統一理論はすばらしい。あれと電弱統一理論では「統一」の意味が違うんじゃないか。そういうご質問でしたよね。その通りです。電弱統一理論は何も統一しません。電磁気力と弱い力はからまっているので両方を同時に書かないとうまくいかない。そこを解きほぐしたのがワインバーグ・サラム理論(つまり電弱統一理論)ということになります。力が本当に統一して一つの力だけで書けるようになるのは大統一理論まで待つ必要があります。

そういうわけで、陽子崩壊が見つかってほしいんですけど、どうしてないんでしょうかね?

6か月

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橋本 省二さんの過去の回答
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