刑事弁護実務の観点についてのお尋ねですので、刑事訴訟法の運用という観点からお答えするのが良いように思います。

御指摘のとおり、戦後の刑事訴訟法はアメリカ法の影響を受けているわけですが、刑事弁護の観点からは、なお職権主義的色彩があちこちに残っているように思います。アメリカの刑事実務では、当事者主義の色彩が強く、被疑者の認否、あるいは弁護方針次第、という部分が大きいです。司法取引が広く認められ、日本のように対象となる罪の定めもありません。捜査から公判までどの段階でもでき、刑事裁判の大半が司法取引で終わるというような実情もあるようです。自白することにより自分の刑を軽くする自己負罪型がメインとされています(日本ではいわゆる司法取引は共犯者らの犯罪を解明するのに寄与することを目的とした捜査・公判協力型に限定され、運用実績もそれほどありません)。

ではドイツはどうかというと、一応、「合意制度」と「王冠証人制度」という二つの司法取引があります。合意制度は自己負罪型で、アメリカと同様、対象犯罪の限定はありませんが、捜査段階で取引できるアメリカと違い、起訴後の公判で裁判所が主導して行われます。裁判所は合意が成立した場合の言い渡し量刑の上限と下限を被告人に提示し、検察官と被告人側が同意すれば合意が成立するというものです。これに対し、王冠証人制度は捜査・公判協力型であり、捜査段階で事件の真実解明に有益な情報を提供することにより、検察官が公判で被告人が王冠証人であることを報告し、裁判所はこれを被告人に有利な情状証拠とするというものです。しかし、薬物犯罪等に限定的にしか使われていないようです。

このように、司法取引の実情を見ても、日本はなおドイツに近いといえるでしょう。その理由として、日本の刑法がドイツ法の影響下にあるからか、あるいは日本の刑事訴訟法が戦前までドイツ法と同様に職権主義的色彩が強かったからかははっきりしませんが、歴史的経緯、国民性や文化といった様々な要素の総合的な作用だと思われます。したがって、刑事弁護の在り方としてもどちらが正解ということはなく、それぞれの国の実務の運用に応じて柔軟に対応していくしかありません。

日本における今後の議論として、取調べの在り方や弁護人立会の可否等につき、アメリカの運用に近づけていく方向性もあり得るかもしれませんが、そうすると、被疑者の認否や弁護人の立てる防御方針次第という側面がより強まると思います。優れた刑事弁護を受けられる被疑者にとっては有利かもしれませんが、公平・安定的な刑事弁護という意味では、当たりはずれが生じたり、運が作用したりする側面も否定できないように思われます。

1か月

利用規約プライバシーポリシーに同意の上ご利用ください

粟田知穂さんの過去の回答
    Loading...